ペタコさんの 和のある暮らし
[第37回]なんでもない日に花束を
石橋富士子
- 2025.07.08

人は人生の中で,幾度花束をもらうでしょう?入学式,卒業式,誕生日,ウェディング,お祝い,退職などでしょうか。私は花をいただくと,とてもうれしい気持ちになります。やわらかな色の花から,ほのかにいい香りがして,部屋に飾るとそこだけ少し明るくなる。目にするたびになぜか微笑んでしまう。そして気分が上がります。先日,その花束を,日常の何でもない日に,思いがけずいただきました。
私は刺繍の半襟をつくる仕事をしています。ありがたいことに,その製作枚数が少しずつ多くなってきました。そんな枚数の刺繍をした布の裏から,長く出た裏糸を小さなハサミでチョキチョキと切る作業を毎日していたら,手の指を使いすぎて痛くなり,腱鞘炎一歩手前になってしまいました。このままだと手が使えなくなりそう。そんなことになる前に誰か手伝ってもらえないかしら?と,ある日ダメ元で近所に住む友人にメールを書きました。彼女は仕事もあるし,子どもも小学校で忙しいから無理かなあと半分あきらめつつも聞いてみると,すぐに「よくぞ思い出してくださいました! 喜んでやりますよ!」とうれしい返事が届きました。
助っ人は多いほうがいいでしょうと,息子さんと同じクラスメイトのお母さんたちにも声をかけてくれて,なんとも頼もしい裏糸切り専門のグループ,通称「チョッキリ隊」が誕生しました。彼女たちのおかげで私は刺繍のデザインや製作などに専念できるので,本当に助かります。なんて運がいいんでしょう。毎週,週末になると裏糸を切った半襟を持ってきてくれて,新たにお願いする半襟を渡す。そんなローテーションができあがりました。人とのつながりやめぐりあわせの楽しさに感謝しながら,また新たなアイデアやデザインを模索する日々です。感謝の気持ちで,近所の農家の採れたて野菜があると差し上げたり。年の離れた友人のような,うれしい関係になりました。
ある日,チャイムが鳴ったのでドアを開けると,笑顔の彼女が花束を持っていました。思いがけなくいただいた花束。今日は何の日だっけ?しばし考えたのですが,「今日は何でもない普通の日です。いつもよくしてくださっているので」と言いながら渡してくれる花束に,なんともあたたかいうれしい気持ちになりました。いえいえ,よくしてもらっているのは,私のほうです。黄色や白,やさしいピンク色,緑色の野の花のような細かな白い花,麦のような穂も入っていて,彼女が楽しみながら一本一本選んでくれたのかなと想像しました。
何でもない日に花束をいただいたのは,今まで生きてきて初めてのことです。いつかチャンスがあったら,何でもない日に花束をプレゼントしてみようかなと思いました。
(2024年4月1日発行 家庭科通信74号掲載)
著者プロフィール
石橋 富士子(いしばし ふじこ)
毎日を着物で暮らすイラストレーター。教科書,絵本などの他,和小物製作デザインやオリジナル落雁の型を使った落雁作りワークショップなどを開催。「家庭科通信」の表紙も創刊時から手がけている。著書に「知識ゼロからの着物と暮らす・入門」「知識ゼロからの着物と遊ぶ」(幻冬舎)。着物をもっと楽しむための刺繍和小物をつくる富士商会を2015年設立。https://fujipeta.com/
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