国際スポーツと民族スポーツって何だろう?
寒川恒夫

早稲田大学名誉教授の寒川恒夫先生に、「国際スポーツと民族スポーツ」についてご教授いただきました。
編集部 私たちがスポーツといってイメージするものは、オリンピック競技大会で行われているスポーツを指すことが多いように思うのですが、そのことについて、先生はどうお考えですか。
寒 川 たしかに、私たちが普通スポーツといってイメージするのは、オリンピックと、それにかかわっているIOCの傘下にある競技種目ですね。けれども、オリンピックで行われている種目がスポーツのすべてかというと、そうではなくて、それ以外にもスポーツは世界中にあるわけです。その観点から、民族スポーツは重要だと思っています。
編集部 民族スポーツについて教えていただきたいのですが、まず、国際スポーツと民族スポーツの違いは何でしょうか。
寒 川 決定的な違いは、国際ルールをもっているか、それともローカルルールにとどまっているかだと思いますね。国際ルールをもっているということは、それを維持する国際組織があるということですので、通常、国際ルールをもっているスポーツのことを、私たちはスポーツ(国際スポーツ)と考えることが多いわけです。これに対して、ルール適用が特定社会や特定地域に限定されるスポーツは、民族(エスニック)スポーツということになるのです。
編集部 ルールが適用される範囲で分けられるということですか。
寒 川 それだけではないのです。そこで展開される精神世界も関係してきます。国際スポーツは、それによって社会と文化の違いを標準化する、あるいは共有化するような機能をもっているわけです。あるいはもたざるを得ない性質を与えられているわけですね。ところが、民族スポーツは、その民族にしか通用しないような考え方なり、ほかの民族から下手をすると拒否されそうな性格をもったスポーツといえるかもしれません。これは異文化に対する抵抗ということになります。あるいはカルチャーショックを引き起こすスポーツ、そういうものを民族スポーツと呼ぼうとしているのかもしれません。
編集部 なるほど。文化の問題がかかわってくるわけですね。
寒 川 ええ。民族スポーツの世界で育った人間は、その社会に固有な文化性を身につけることになるわけです。ところが、国際スポーツの世界で育った人間は、国際性というか、グローバリゼーションの思想というものを身につける可能性があるわけです。どちらがいいとか悪いとかということではなくて、両方とも必要なことなのです。「私は国際人です」と宣言すると同時に、「私は日本人です」ということになるわけです。つまり、「私は日本人であってかつ国際人です」というように、自分のアイデンティティの階層をもっているわけですね。その階層の中でもっとも身近なものとして考えられているのが、民族ということです。民族のアイデンティティをつくるメディアになっているスポーツが民族スポーツだろうと思います。
著者プロフィール
寒川恒夫 (そうがわ つねお)
早稲田大学名誉教授
一覧に戻る