メダルは全員に与えるべきか
谷口輝世子

断捨離中の私には、捨てるべきか頭を悩ませるものがいくつかある。そのひとつが数十個あるおもちゃのようなメダルだ。2人の息子が幼児から小学校低学年にかけて、レクリエーションとしてスポーツをしていたときにもらってきたものだ。
幼かった子どもが参加していた米YMCAなどのレクリエーションスポーツは、8週間などの短い単位をひとつのサイクルとしていた。ちょっとサッカーをやってみたい、野球をやってみたいと思ったときに、2カ月間だけ参加することができる。続けてやりたければ、次のセッションにも参加申し込みをする。やっぱりイヤだと思ったら2カ月で辞めればいい。時間がたってまたやりたくなったら、再度、参加できる。日本の習い事とは違う気軽さが魅力だった。
参加した子どもたちはみんな、8週間の最終日にメダルをもらうことになっていた。途中で1、2度休んでも、ゲーム形式で負け続けても、子どもたち全員にメダルがかけられた。私の家の戸棚がメダルで埋め尽くされた。
最近、米国で、「参加した子ども全員にメダルを与えるのは、本当に良いことなのか」という議論をみかける。元バスケットボールのスーパースター選手であるコービー・ブライアント氏も疑問を口にした一人だ。ブライアント氏の子どもたちも、参加したという理由だけでメダルをもらってきたという。元スーパーエリートアスリートと父親の視点から、同氏は「誰でもメダルがもらえるのなら、子どもたちは負けた悔しさをどこで味わうのか」と話していた。
子どものスポーツは勝ち負けにこだわるべきではないと多くの人が考えている。それでも、心理学の視点から、参加した全員の一律にメダルを与えないほうがよい理由があるようだ。日本向けにもいくつか報道があったから、ご存知の方もいるかもしれない。スタンフォード大のキャロル・ドウェックさんによる研究から考えてみる。
小学校5年生の子どもにテストを受けてもらった。テスト終了後にひとつのグループには子どもたちに「知能が優れている」と賢さを評価し、もうひとつのグループには「一生懸命にやった」と努力を評価した。次に子どもたちに優しい課題と難しい課題を選んでもらったところ、「知能が優れている」と評価された子どもは優しい課題を選び、「努力」を評価された子どもは、難しい課題を選ぶ傾向があった。そして、その課題の正答率も「努力」を評価された子どものほうが高かったそうだ。
「知能が高い」「生まれもったアスリートの才能」という褒め言葉は、生まれもった知能や才能は、後で変えられないというイメージを植え付ける。その評価を守ろうと優しい課題を選ぶ。一方の努力ががんばりは本人次第で何とかできる余地がある。
この心理学研究の観点からいえば、子どもたちの成長のためには全員一律ではないメダルの与え方があるのではないかということだ。コーチはひとりひとりの子どものがんばりゃ努力と関連づけたパフォーマンスに対して、メダルを与えたほうがよいのではないか。子どもたちに努力目標を与えるときには、できるだけ具体的な指示のほうがよいという。
米タフツ大学の心理学者、サム・サマーズさんは、リトルリーグのコーチもしており、こんな賞を与えたそうだ。ベストハッスル賞「レフトの守備位置から三塁ベースをいつもカバーしていた」
大量のおもちゃのメダルをどうするか。我が子たちに尋ねたところ、彼らは残しておきたいものをより分け、コーチから機械的に与えられたものは、ゴミになった。全員一律にメダルを与えるという指導法は、メダル製造業者が潤っただけかなとも思った。
『体育科教育』2018年2月号p.73より転載
著者プロフィール
谷口 輝世子 (たにぐち きよこ)
スポーツライター
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