ピックアップ

ラグビー用の笛作りの奥深い世界
岡邦行

それは3年前だった。埼玉県ふじみ野市で管楽器メーカーの部品製造を請け負う町工場、小柴製作所の小柴一樹さん(1979年生まれ)は、ベテラン職人の伊藤健司さんから提案される。
 「楽器づくりのノウハウを活かし、ラグビー用の笛を作ってみない?」元ラガーマンで休日は川越ラグビースクール代表を務める伊藤さんの言葉に、小柴さんは頷きつつ即答した。「いいですよ。面白そうですね

 

当時を小柴さんは語った。
「もう気軽に引き受けた。サックスなどの管楽器と比べたら部品も少なく、小さいしね。いつでも作れると思っていたら、半年ほど経った頃に伊藤さんに『まだできないの?』と催促され、本格的に作ろうと既製品のホイッスルを買い、分解したら部品はたったの3つ。“タイコ”と呼んでる共鳴管の中に球状のコルクが入っているだけ。素材は管楽器と同じ真鍮ですからね。簡単に作れると思った。つまり、難しく考えていなかったんです」

 

分解した笛の部品を手に持つ小柴さんは、苦笑いを浮かべて続けた。
「ところが、初めての試作品は、吹いても鳴らない。音が出ずに息だけが漏れてしまう。次の試作品は、かろうじて音は出たけど、100円ショップで売っている物のほうがましじゃないかと。もう悔しかったですよね」


もちろん、試作品を作るたびに伊藤さんを前に吹き、意見を求めた。2人は次のような会話を交わしたという。

伊藤「うーん、この笛の音には重みがないなあ。軽いよねえ」

小柴「重みがない? 軽すぎる?」

伊藤「そうなんだよ。軽いために風に飛ばされそうな音だよね

小柴「風に飛ばされる音ですか?」

伊藤「サッカーと違ってラグビーの場合は、重みがある低音がいいんだ


 とにかく、小柴さんは、まずは伊藤さんが満足する音が出る笛を作ることに専念し、次つぎと試作品を作った。その数は、実に100個を超えたという。そればかりではない。休日や祝祭日、伊藤さんの川越ラグビースクールの試合がある日は、グラウンドに出向く。また、テレビ中継のラグビーの試合を観る。レフェリーが吹く笛の音を、耳を澄まして聴き取ったのだ。


「サッカー用の音は高く『ピーッ!』という感じですね。ロングパスのたびにレフェリーが走っていたら大変なため、高い音でなければならない。それに対してラグビーは、選手同士が激しくぶつかり合うコンタクトスポーツ。伊藤さんが言うには、笛の音で選手を興奮させない低い音がいいと。レフェリーはボールを持つ選手の近くで笛を吹くため、サッカーのような高い音だったら選手が苛立ってしまう。ルールブックにも笛の音は、低い方がいいと記述されているようですね」
 そう言って小柴さんは、「KOSHIBA FACTORY  MADE IN JAPAN」と刻印された笛を右手で持って吹いた。なるほど風に飛ばされない、低くて重い音色だ。

 

小柴一樹さん

 

 

長男の小柴さんが1歳を迎えた頃、管楽器部品職人の父・四郎さんが33歳のときだった。38年前の1980年、現在の地に小柴製作所は創業された。
「父には子どもの頃から『一樹は跡取りだ』と言われていた。昔は従業員とパートさんを入れれば、30人近くいてね。ちやほやされていた。別に厭ではなかったけど、父に『継げ、継げ』と言われると反抗して、高校の頃からは会社に近づかなかった」
 

小学・中学時代は町の道場に通う剣道少年。高校時代はサッカーに夢中になり、ゴールキーパーだった小柴さんは、大学卒業後は印刷会社に就職。実家を離れてアパート暮らし。稼業を継ぐことはなかった。
 「結局、印刷会社には3年半いて、その後はフリーター。ようやく学生時代から希望していたファッション関係の会社に勤めることができたんですが、納得できる仕事ができない。すごい後輩のやり手社員がいて『俺にはできないなあ』と。葛藤しているときに周りから言われたんですね。『家業を営む実家があるなんて恵まれている。お前のやる気次第じゃないか』と。考えてみれば、ぼくが自由にやってこれたのも実家に守られていたからだとね」


 こうして小柴さんは、29歳のときに家業を継ぐことになった。
「大変だったのは、リーマンショック(2008年9月)から1年後の頃かな。不況でお得意先の大手楽器メーカーの埼玉工場が閉鎖されてね。パートさんには辞めてもらった。でも、営業をしていて痛感した。今もこうして続けていられるのは、長い間この世界で生きてきた父の存在というか、顔が効きましたからね。『小柴のためなら』と言って仕事をいただくことができました」
 そう言って小柴さんは、口元に笑みを浮かべた。


 伊藤さんのアドバイスを得て、小柴さんはラグビー用の笛を作り続けた。
「数百個の部品が集まって完成する管楽器と違い、笛は部品が少ない。そのためコンマ1ミリ違うだけで音が違ってしまう。それに同じように作っても微妙に違う。だから、金型を作るまでは、神経を尖らす毎日を送っていた。
タイコの中に入れるコルクは、国産品はないために商社から海外産の物を取り寄せた。外国製の笛は、直径14ミリ球を使用しているけど、うちのは12ミリで天然の物ではなく合成。そのほうがタイコの中での反応がいいですね」
 

小柴さん(左)と伊藤健司さん(右)

 

 

2017年9月。ついに小柴製作所ブランドのラグビー用の笛は完成し、商品化にこぎつけた。小柴さんは語る。
 「よく周りから『2019年の日本開催のラグビーワールドカップを意識して笛を作ったの?』なんて聞かれる。でも、ぼく伊藤さんも全く意識していなかったですね。ぼく自身は、ワールドカップ開催のことは知らなかったし、正直、商売になるとは思わなかった。単に伊藤さんたちが喜んでくれればいいかなと。まあ、ネット販売できればいいんじゃないかと考えていた」


 これまでサッカーやラグビーを筆頭にバレーボール、バスケットボール、スピードスケートなどのレフェリーやスターターが使用する笛では、日本では1919年に創業した野田鶴声社が知られていた。だが、私も取材したこともある1930年生まれの社長・野田員弘さんが亡くなり、廃業している。


 小柴製作所は唯一の国産メーカーになった。そのためだろう。小柴さんは、テレビなどの取材を受けた際、そのスタッフから注文がつくという。
「カメラに向かって、『是非、小柴製作所のホイッスルをラグビーワールドカップで使用してください』と、強調して言ってください」
小柴さんは、真顔でこう言った。


 「ぼくの本音としては、口コミで小柴製作所の笛の存在が知られ『この笛、いいね。音もいいし、使いやすい』と言われれば嬉しいです。でも、こっちから『是非、使ってください!』とお願いするのはどうも……。最近はスポーツ界の裏の部分が報じられていて、それに対し『厭だなあ』と思っているしね。生意気かもしれないけど、関係者から『ワールドカップで使用したい』と言われたら『わかりました、じゃあ、どうぞ』と。いくらでも提供したい。もちろん、小柴製作所の笛を使っていただければ嬉しいし、光栄です。笛は、たとえば登山者が携帯する大事なツールの一つだしね。そう言えば、こないだは東武東上線の車掌さんが問い合わせてきた。『笛の音が高いとお客さんが厭がるため、低い音が出る笛を探している』と言ってましたね」


 小柴製作所の笛は2タイプあり、価格は5100円と8100円である。
 

小柴製作所の笛

 

 

(体育科教育2019年3月号より転載)

一覧に戻る

最新記事

このサイトではCookieを使用しています。Cookieの使用に関する詳細は「 プライバシーポリシープライバシーポリシー」をご覧ください。

OK