様々な苦難を乗り越えて。大矢勇気39歳の銀メダリスト
仲島正教
- 2021.09.27
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大矢勇気は、16歳の時に事故で車いす生活になり、その後パラアスリートとして競技に打ち込み、2020東京パラリンピックに初出場。陸上・男子100mで銀メダルを獲得しました。
翌日の新聞には「大矢銀メダル」「亡き母思い無我夢中」と見出しが躍ります。テレビではインタビューも映し出されます。もうすっかり「時の人」になりました。
そんな彼と出会ったのは、もう30年前になります。当時小学4年生だった彼は出来ないことがあるとすぐにあきらめてしまう子でした。
中学校に行ってからもその「アカンタレ」は変わりませんでした。そんな彼が定時制高校(夜間)に通い始めて半年後、事故によって車いす生活になったのです。
しかしそこから彼の人生は違った方向に動き始めます。献身的な介護をしてくれる母や兄、支えてくれる周りの医療関係者や学校の先生方、そして仲間たちによって、自暴自棄だった彼は少しずつ「がんばり屋」に変わっていくのです。
高校を6年かかって卒業し、車いすの陸上競技を始めます。2005年、岡山での「全国障害者スポーツ大会」に出場するも大差をつけられて惨敗。悔しがる彼の姿に、母は貯金を切り崩し、競技用車いすを購入してくれました。その時に私は言ったのです。
「お母さんをパラリンピックに連れていってやれ」
「わかった。ついでに先生もパラリンピックに連れていってやるからな」
彼の頼もしい言葉に「よし、頼むぞ」と返事をした私でしたが、正直なところ「そこまでは無理だろう」と思っていた悪い教師でした。ところが彼はそんな予想を裏切るほどの頑張りを見せ、2011年春には2012ロンドンパラリンピック参加B標準記録を出し強化選手にも選ばれたのです。「もしかしたら……」私の心も俄かに騒ぎ出しました。
そして最終選考会を迎えましたが、彼はなんと欠場するのです。選考会前夜に最愛の母がガンで亡くなったのです。「ここまであんなに世話になった母をしっかり看取ってやりたかった」と。そしてロンドンパラリンピックは泡となり消えました。
彼は天国の母のためにもう一度頑張る決意をして、2014インチョンアジア大会、2016リオパラリンピックをめざすのですが、車いすアスリートの大敵である褥瘡(いわゆる床ずれ)に悩まされ、なかなか成績を伸ばすことは出来ませんでした。
今度は2020東京パラリンピックをめざすのですが、年齢的なこともあり、私は「もう無理かも」と再び思うのでした。ところが2019年7月のある日、彼から私にLINEが入ったのです。
「先生、驚くなよ。俺、ジャパンパラ陸上で優勝したんや。日本代表に選ばれたんや。11月の世界パラ陸上で4位以内に入れば、東京パラ内定するんや」
なんと日の丸が胸についた写真を送ってきたのです。そして、この大会で彼は見事4位に入り、東京パラリンピック内定をつかんだのです。2005年にパラリンピックに行くと宣言してから14年後。まさか本当に実現するとは夢にも思わなかった私を、見事に裏切ってくれました。
早速、彼が出るであろう東京大会車いす100m決勝のチケットを抽選でゲットし、あとは応援に行くだけになりました。
ところが新型コロナの影響で大会が1年延期となりました。彼は落ち込み「もう力が出ない」「死にたい」そんな言葉を吐くようになりました。
でも後援会のメンバーや会社の支え、地域での応援が力になり、彼は再び走り始めました。そして2021年9月3日、ついに念願のパラリンピックにたどり着いたのです。本当に長い、長い道のりでした。何度も、何度もくじけそうになりながら、ここまでよく頑張り続けました。彼は本当に凄い奴になりました。
車いすになってから23年、競技を始めてから16年、そして母の死から10年後の「夢の実現」。試合翌日のインタビューで、彼が色紙に書いた言葉は「継続は力なり」でした。
閉会式の翌日、東京から戻った彼に、銀メダルをかけてもらいました。その写真が机の上で輝いています。
『体育科教育』2021年11月号に掲載の詳細版もご覧ください。

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