名字・名前と漢字
第8回 鈴木か、佐藤か ――日本に多い名字とは?(3)
笹原宏之

世界の名字・名前事情を踏まえ、名字と名前に使われる漢字のおもしろさに迫っていく本連載。第8回では戦後行われた様々な名字調査について、その苦闘の歩みを探る。
1位は「佐藤」――柴田武の名字調査
終戦後、日本国内で人口が多い名字に関する調査が進められていく。時代が変わっても政府が無策を貫く状況下で、より均質性の高い資料を用いた統計が試みられていく。
戦後間もない1948年に、「日本人の読み書き能力調査」が実施された。「漢字を使うために日本人は識字率が低く、それが民主化を遅らせているに違いない」というGHQの発想に基づいた調査だったという。しかし、この調査で明らかとなったのは日本人の識字率の非常な高さだった。調査を担当した国立国語研究所の柴田武はローマ字論者だったが、GHQ側からローマ字化を推進するためにデータに変更を加えるように持ちかけられても、圧力に屈することなくそれを拒絶したと伝えられ、調査結果はそのまま公表された。結果として漢字廃止論の勢いを削ぎ、日本語のローマ字化を食い止めたことで知られている。
この調査は、日本人の識字能力を明らかにしただけではなかった。調査では、日本全国の15歳ないし64歳の日本人男女のうち、物資配給台帳をもとに産業構造やラジオの普及率などから系統的にサンプルを抽出し、270地点から21008人をランダムに選んでいた(このサンプル数は読み書き能力調査の実際の調査対象者・参加者よりも多い)。柴田は、これを姓名を調べる対象として見逃さなかった。目的外使用などという声は聞かれず、大規模な読み書き能力調査という「文化の国勢調査」に花を添える結果が明らかとなった。
サンプル数は多いとはいえないが、さすがに日本初の全国規模での一般国民に関する科学的な社会調査と統計というだけあって、先の学士会名簿に対する調査(第7回参照)よりも格段に正確な状況を示すことになったようだ。
姓名調査の結果を記した柴田武「日本の人名」(中村通夫編『講座日本語2 日本語の構造』大月書店、1955年所収)によると、上位は次のようなランキングになる(この論文には、前回触れた惣郷論文の誤植に関する私信も紹介されている)。
順位 | 名字 | 占有率 |
---|---|---|
1 | 佐藤 | 1.7% |
2 | 鈴木 | 1.6% |
3 | 田中 | 1.3% |
4 | 山本 | 1.1% |
5 | 渡辺 | 1.0% |
続けて、同順位で「小林」「斎藤」「中村」「伊藤」「高橋」が並ぶという順になっており、戦前の学士会名簿に基づく調査とは入れ替わりがあるのが分かる。なによりも注目すべきは、戦前の調査で3位だった「佐藤」が、「鈴木」「田中」を抜いて1位となったことである。
そして、柴田は、東北地方に限るならば、8.3%が「佐藤」で占められていることも明らかにした。東北地方に伝わる俗諺「佐藤・斎藤、エン(犬)のくそ」を文中で引いている。
さらに彼は、復員局名簿を利用して、大姓、すなわち数が多い名字の実態に切り込んでいく。これは「復員局の好意で教えていただいたもの」だそうで、「1949年5月2日現在、未復員と認められた陸軍関係の軍人約32万人を資料としたもので、よくあらわれる姓だけについて」調べている。経済的には貧しいはずだが、こういうことができる良い時代であった。この調査でも、佐藤が1.7%と最多だった。
順位 | 名字 | 占有率 |
---|---|---|
1 | 佐藤 | 1.7% |
2 | 鈴木 | 1.4% |
3 | 高橋 | 1.3% |
4 | 田中 | 1.1% |
5 | 渡辺 | 0.9% |
小林 | ||
斎藤 | ||
中村 | ||
伊藤 |
ここに、読み書き能力調査のサンプルと高い相関関係があることが示された。柴田の言葉を借りれば、「読み書き能力調査の、第11位までの14の姓が、そのまま復員局名簿の第13位までの14の姓として含まれるほど一致しているだけでなく、パーセンテージもほぼ一致してい」るのである。質の異なる名簿を用いて、上位の安定性と大姓の顔ぶれについて結果が補強された訳だが、2位以下の比率や順位には読み書き能力調査のものと微妙な違いがある。「山本」「高橋」などは順位の変動が大きい。
学士会名簿には「佐々木」「佐藤」「斎藤」に代表される東北・北海道の出身者が人口の割合に比して少数しか載っていなかったために、順位を歪めていたようだ。それらの地の国立大学の出身者が少なく、標本としては偏っていたのであった。
なお、ここには、激戦を経て人口の約1/4ないし1/5を喪失し、アメリカの統治下に入った沖縄(もとは琉球王国だった)に住む人々の名字は含まれていない。
名字は地域をよく表す
柴田は、方言研究の視点から、大姓の地理的分布にも筆を及ぼした。それによると、
・佐藤…東北・北海道にきわめて多い
・鈴木…中四国・九州に少ない
・田中…東北・関東・中四国に多くない
・山本…中四国に非常に多い
とのことで、惣郷論文での指摘とほぼ一致する。
また、特定地域での名字分布の偏りにも触れていて、山梨県南巨摩郡西山村の奈良田(ナラダ)では、「50軒近くのほとんどすべてが深沢姓だった」と述べる。ここは、関東において特異な方言を呈する場所として知られる地である。NHKの全国の方言録音テープの資料に現れた名字の記述とも類似しており、このエピソードは経験ないしは学界での伝聞によるものだろう。さらには、言語調査で訪れた八丈島末吉村で、「沖山」姓が全世帯の50.4%を占めていた例に触れ、読み書き能力調査の結果でも、特定地域での名字の偏在に関していくつか指摘をしている。
・渡辺…山梨県南都留郡下吉田町で、38%
・堀内…山梨県南都留郡大石村で、34%
・中島…長野県南佐久郡南相木村で、31%
・安斎…福島県安達郡川崎村で、27%
こうした地点は、今でもいくつも知られている。集落全体、島全体ですべて、あるいはほとんどの住民が親類でなくとも同じ名字であって、学校や郵便配達などでは下の名前や屋号で区別をするといった話が聞かれる。
一方で、函館市の62人は「すべての姓が違ってい」ると指摘し、北海道で名字が「もっとも散らばっている」のは「新しい入植地」だからとみる。反対に東北が「もっともかたまっている」のは「姓と土地との関係が深い」、つまりは「人口の出入りがもっとも少ない」ためとみている。名字は「地域をよく表わしてい」るというのはもっともな発言である。北海道から沖縄まで伸びる日本列島は、狭いようで長く広い。
むろん資料としては偏りがあり、種々の限界があったが、大姓については微差は現れるもののおおまかな現況はここに掴むに至ったといえよう。
ここで柴田武についての個人的な思い出を語っておきたい。氏はその後、方言学、言語地理学的な研究で活躍を続けられた。方言漢字についても早くから言及されていた。亡くなる前に、筆者は一度だけ、お話をする機会に恵まれたことがある。方言文字を調べていると申し上げると、「あれ、たくさんあるんだってね」とおっしゃってくださったことが忘れられない。
1位は「鈴木」――満田新一郎の名字調査
続けて、大姓調査に名乗りを上げたのは、柴田武とともに名字の調査を行ったことがあった満田新一郎である。柴田論文公開の6年後、1961年に「多い苗字、多い名前」を『言語生活』118号に発表した。
満田はこの論文で「日本でいちばん多い苗字」が「話題に」なっているとし、「鈴木1位説、佐藤1位説」があることを紹介する。鈴木説は、戦前の「学士会の会員氏名録や、東京の電話番号簿を資料にしたもの」が裏付けとなっているという。「電話番号簿」とは後で述べる佐久間英あたりの調査であろうか。「あらためて最新版のものを調べてみても」、鈴木が1位となるという。
一方で、柴田が読み書き能力調査から調べたものや「職員録(下巻)を調べたもの(婦人倶楽部 昭和36・4)」では、佐藤説が採られていると紹介する。大蔵省印刷局発行の「職員録の調査は、事実上私がおこなった」、「この発表を機にもう一度集計をやり直してみた」とのことで、柴田とともに大姓の調査を行っていたことがうかがえる。その資料には、「地方公務員など地方公共団体の主だった人の氏名が、都道府県別に」並べられていたという。「職業的にはもちろんかたよったもの」だが、「20万というサンプルの多さが魅力であり」、「だいたいその府県内出身者で占められている」と指摘する。ただ、「ムラがあって」「面積の大きい県」では名字の記載数が実際の人口比率以上に多くなり、たとえば「東北地方に多い佐藤」の「ウェイトが高くなってしまう」ために、「各府県のサンプルを人口に比例するように修正したうえで合計を出し、実態に近づけた」と、実勢に即すように調整を加えたことを明らかにしている。ミスプリントも少なそうな名簿である。
その結果、「わずか40人の差」という小差ながら「1位と2位が逆転してしまった」。上位のランキングは次の通りである。
順位 | 名字 | 人数 |
---|---|---|
1 | 鈴木 | 2648人 |
2 | 佐藤 | 2605人 |
3 | 田中 | 2112人 |
4 | 高橋 | 2036人 |
5 | 渡辺 | 1799人 |
6 | 中村 | 1701人 |
7 | 伊藤 | 1608人 |
8 | 山本 | 1561人 |
9 | 斎藤 | 1476人 |
10 | 小林 | 1465人 |
また、満田も名字の分布の違いに筆を及ぼす。「鈴木」は「関東の太平洋岸から東海地方にかけて大変多い」のに対して、「佐藤」は「東北地方に圧倒的に多いほか西日本の一部にも」あるとみる。そして、「ところ変われば苗字も変わるもの」として、ここには引用を略すが、「各府県に多い苗字」なども掲げており、調査が詳しく行われるようになってきたことが示されている。
そうすると、東北の人口が薄く、関東の人口が濃いようなサンプルでは、順位が逆転するという可能性がみえてくる。やはり都会中心、東京中心の資料と全国的な資料とでは、サンプルとして質的、量的な違いが避けがたいものである。これはテレビの視聴率調査を思い起こさせる。国内の数千万人がサンプルからは切り捨てられているのである。
「鈴木」が1位――佐久間英の名字調査
こうして雲をつかむような日本の名字の実勢に対して研究が重ねられていく状況の中、一つの画期的なランキングが公表される。
東京都練馬区で歯科医を営んでいた佐久間英が、全国の小中学校の教職員名簿(35万人を収録)をもとに、電話帳や職員録などを加味して、一挙に上位4000位までのランキングを割り出したのである。ここには、復帰前の沖縄も含められた。教職員名簿は、おおむね全人口に比例して配置されていること、地元出身者が多いことが考慮され選ばれたものである。
7年半にわたって家族ぐるみで進められた検討の成果は、まず1964年に発表され、そこに修正が重ねられて1972年に『日本人の姓』(六藝書房)において最終版が発表された。ちょうど日本の総人口が1億人を突破した頃だった。世に「佐久間ランキング」と呼ばれ、これは、調査・順位付け方法の再現性という点で難はあるが、空前の業績となった。お嬢さん方と夫人も積極的に関わられている点も、男性ばかりが実施者となるこの種の調査としては珍しい。
佐久間は、すでに「『名づけ』親子問答」(『言語生活』113号、1963年)において、職員録、電話帳、教職員名簿などで「名字や名まえを考現学的に調べる」試みに触れ、柴田武「日本の人名」に「ちゃんとしたデータが出ている」と讃えていた。
彼は仙台市の戸籍を全数調査するなど、良き時代に名字の調査に当たることができた人物であった。かつて学研から出ていた小学生向けの宅配雑誌『科学と学習』にも執筆していたことがあり、筆者も、新鮮なナール体(丸ゴシック体の一種)で印刷された小さな付録の記事を読み耽ったものだった。
ここでは、その労作から上位10位までを紹介しよう。
順位 | 名字 | 人数 |
---|---|---|
1 | 鈴木 | 約200万人 |
2 | 佐藤 | 約190万人 |
3 | 田中 | 約130万人 |
4 | 山本 | 約90万人 |
5 | 渡辺 | 約85万人 |
6 | 高橋 | 約80万人 |
7 | 小林 | 約75万人 |
8 | 中村 | 約70万人 |
9 | 伊藤 | 約70万人 |
10 | 斎藤 | 約60万人 |
苦心の末に割り出された、全人口当たりでの名字別の人数は、「鈴木」が約200万人、「佐藤」が約190万人ということで、再び、鈴木が1位に返り咲いた。当時、名字ごとに出生者数、死亡者数に激変があったとは考えられないが、国による悉皆調査がなされない中で、均等な無作為標本抽出(サンプリング)が日本の名字に関していかに困難であるのかがうかがえる。11位とされた「加藤」も、約60万人と推算されており、「約」という概数の上では10位で示された人数と同じとなっている。
ともあれ、他の漢字圏と異なり、漢字2字が基本的に多く、「すずき」「たなか」「やまもと」など訓読みが優勢であることが明らかである。1位であっても集中度が最大で2%程度と低いところも、他国とは異なる。
ただ、佐久間ランキングに対しては、関東や都市部の人口が過大に評価されたなどとする批判も出てくる。1位を「鈴木」としたのは、そのためであろうか。
その後、コンピューターが実用化される時代を迎えてからの展開については、また次回に述べることとしよう。
著者プロフィール
笹原 宏之(ささはら ひろゆき)
1965年東京都生まれ。 早稲田大学第一文学部で中国語学を専攻、同大学院では日本語学を専攻。博士(文学)。早稲田大学社会科学総合学術院教授。 経済産業省の「JIS漢字」や法務省法制審議会の「人名用漢字」の改正、文部科学省文化審議会の「常用漢字」の改定などにも携わる。 著書に『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂、金田一京助博士記念賞)、『訓読みのはなし』(角川ソフィア文庫)、『方言漢字』(角川選書)、『漢字に託した「日本の心」』(NHK出版新書)、『漢字の歴史 古くて新しい文字の話』(ちくまプリマー新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)など。
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