コトバのひきだし ──ふさわしい日本語の選び方
第14回 テンで済ましたらマルで話にならない?
関根健一

文の終わりにマルを付けられると若者は威圧感を覚えるという「マルハラスメント」(マルハラ)が話題になりました。文章にはマル(句点)とテン(読点)があって当たり前と思っていた世代は驚きましたが、日本語の文章において、句読点の歴史はそう古いものではありません。
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古典の原文を載せた本にはたいてい「適宜、句読点を施した」旨の断り書きがあります。紫式部や清少納言はマルやテンを打ったりしませんでした。日本語のリズムに従って声を出して読んでいけば、活用の違いや係り結びなども手掛かりにして、自然に意味を区切って理解できたのです。漢文の読み下しに使われたり、蘭学者がコンマ、ピリオドを紹介したりしたことはありましたが、昔の文章はマルやテンはないのが普通でした。現在のような句読点の使い方が一般的になったのは明治中期以降のようです。大日本帝国憲法を始め、戦前に作られた法律類には句読点はありません。句読点は読解の助けとして付けるもので、正式な文書には必要ないという意識もあったかもしれません。今も、表彰状やビジネス関係の挨拶状で句読点がないものがあるのはその名残でしょうか。
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明治の初めには、テンはあってもマルがない文章もありました。新聞も、1950年代初め頃までマルを使っていなかったと言えば、意外に思う人が多いかもしれません。例えば、1952年12月31日の読売新聞には、次のような記事が出ています。(段落の冒頭が一字下げになっていないのは原文通りです)
吉田首相は卅一日大磯の私邸から上京、臨時閣議に出席するが閣議後、自由党の林幹事長、益谷総務会長および広川農相と会見、執行部辞任問題をめぐる党内情勢ことに民同派の動向などにつき報告を聴取し対処策を指示するのではないかと見られている、また星島、田子、田中(万)氏らの総務も首相と林、益谷両氏との会談内容いかんによっては首相と会見することになるかも知れないと星島氏は語っている
マルで閉じるべきところ(「見られている」の後)にはテンが使われ、最後の段落が終わる箇所にもマルはなく、後は空白になっています。
社説やコラムなど、現在と同じように句読点を入れている記事もあるのですが、ニュース記事ではなぜかマルが使われていません。朝日新聞、毎日新聞など、他の新聞も同様のやり方でした。
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テンで続けるとスピード感が出て、速報性が印象付けられるのではないかという気持ちが、この特殊なスタイルを生み出したのでしょうか。声に出して読むのなら、テンを息継ぎの目安にすれば、大意を理解するのにさほど支障はないかもしれません。しかし、目で記事を追うとき、テンだけでは、そこで文が終わっているのか、後に続いていくのかが紛らわしいときがあります。現代の日本語は、言い切るときの終止形と、後の言葉(体言)を修飾する連体形とは同じなので、どちらなのかは文脈で判断しなければならないからです。体言止めの場合、より判読は難しくなります。そこを明確にするためか、当時の記事は、テンの後の文頭に、「さらに」「なお」「ついては」といった副詞や接続詞を付けている例が多い気がします。引用した記事でも、「また」がないと、「見られている」のが「星島……らの総務」にかかるように読まれてしまうおそれもあります。
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この話はこれでおしまいと、きっぱり告げるのがマルの役目なのですが、LINEなどのチャットツールでは吹き出しで囲まれていれば、区切りは明らかです。そこに、あえてマルを付けられると、きっぱりしすぎて冷たく感じる、区切る以外の何か別の意味があるのでは、と勘繰ってしまうのがマルハラの感覚なのもしれません。
『国語教室』第122号(2024年10月)より
著者プロフィール
関根健一 (せきね けんいち)
日本新聞協会用語専門委員。元読売新聞東京本社編集委員。大東文化大学非常勤講師。著書に『なぜなに日本語』(三省堂)、『ちびまる子ちゃんの敬語教室』(集英社)、『文章がフツーにうまくなる とっておきのことば術』『品格語辞典』『無礼語辞典』(大修館書店)など。『明鏡国語辞典 第三版』編集・執筆協力者。

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