悩める創作者のための 伝わる〈古文〉の書き方
第6回 形容動詞 ――「なり」を活用させられますか――
田中草大
- 2025.11.07
まずは理解度チェック
今回取り上げる古文の「なり」「たり」は、現代語にも次のようなところに残っています。
●時は金なり。
●親愛なる○○へ。
●星条旗よ永遠なれ。
●好きこそものの上手なれ。
●他ならぬ彼の頼みとあっては
●一瞬たりとも目が離せない。
●惨憺たる結果。
●紳士たれ。
このような古文の形を自力で作れるかどうか、次の問題でまずは理解度チェックをしてみましょう。
問 次の[ ]部を、《 》の語を使って古文の形にしてください。
①[豊かではないが]幸福なり。《なり》 ※~ないが:未然形+「ねども」
②君よ、とこしへに[幸福であれ]。《なり》
③[堂々とした]幕切れ。《たり》
④[鳥であるが]飛ばず。《なり》 ※~だが:已然形+「ども」
⑤遠くに[見えるのだ]。《なり》
⑥[静かだった]。《なり》 ※~た:連用形+「けり」
模範解答はそれぞれ次のようになります。
①豊かなら(-ねども) ②幸福なれ ③堂々たる
④鳥なれ(-ども) ⑤見ゆるなり ⑥静かなり(-けり)
いかがでしたか? 間違えてしまった方や、一応合っていたが自信がないという方は、以下の記事を熟読して古文の「なり」「たり」の使い方を習得しましょう。
形容動詞「~なり」
形容動詞とは、現代語では「静かだ」「愉快だ」など「状態を表す語+だ」の形を持つ語のことで、古文では「だ」の代わりに「なり」を使います。両者を比較してみましょう。
表① 古文の形容動詞「~なり」と現代語の形容動詞「~だ」の活用表

「なり」と言えば「やあ、うまそうナリ。」「晩のおかずが楽しみナリ。」[1]のごとく、「なり」という形だけで使うイメージがあるかもしれませんが、実際にはこのようにバッチリ活用する語なのです。比較すると分かるとおり、実は形容動詞は古文と現代語とでかなり相違があります。現代語とは別物として覚え直すのがよいでしょう。
とは言うものの、活用の仕方は新たに覚える必要はありません。活用表を改めて見ると、「ら、り、り……」という、見覚えのある並びになっていますね。そう、動詞のところで学習したラ行変格活用です。
ラ行変格活用は、前回取り上げた形容詞の補助活用にも出てきました。実は、形容詞の補助活用と今回の形容動詞は造りがそっくりです。形容詞の補助活用が、形容詞の本活用に動詞「あり」が融合して出来たものである(例:久しく あり → 久しかり)のに対して、「なり」は、「状態語+に」に動詞「あり」が融合して出来たものなのです。
例:静かに あり → 静かなり
優雅に ある時 → 優雅なる時
豊かに あれば → 豊かなれば
現代語にも「華麗なる一族」「いかなる場合にも」のような「なる」がありますが、これは古文の形容動詞連体形が残っているものです。ついでに言えば、この「なる」が変化したのが現代語の「な」です(静かなる人 → 静かな人)。
またこれに加えて、形容動詞の元となった「に」単体でも使うことがあります(連用形に相当[2]。例:「静かに燃ゆ」「ほがらかになる」「いと清らかにて」)[3]。
この2系統が相補って現代語の形容動詞の活用を形作っています。まるでキカイダーかあしゅら男爵みたいですね![4]
もう一つの形容動詞「~たり」
形容動詞には、「~なり」と併せて「~たり」という形もあります。
表② 古文の形容動詞「~たり」

見て分かるとおり、「なり」と「たり」は文字どおり「な」と「た」が違うだけで、活用の仕方は同一です(=ラ行変格活用)。また、これとは別に連用形に「と」も認めるのが一般的ですが、これは現代語の「粛々と行う」「鬱蒼と生い茂る」などと同じ使い方です。ここから察せられるように、「たり」は「状態語+と[5]」に動詞「あり」が融合して出来たものです。
例:粛々と あり → 粛々たり
純然と ある → 純然たる
洋々と あれども → 洋々たれども
「なり」と「たり」の使い分けについてですが、基本的には「なり」の方を使うという理解でOKです。ただし厳めしい印象の漢語の中には、「たり」とマッチするものがあります。現代語でも「確固たるアリバイ」「汚職の最たるもの」「面目躍如たるものがある」のように、「たり」は比較的“硬い”漢語との組み合わせで残っています。重厚な雰囲気を出したい時に「たり」の使用を検討してみるとよいでしょう。
断定の「なり」「たり」
上記で説明してきた「なり」「たり」は、「静か」「粛々」のような状態を表す語と合わさって使われます(=形容動詞)。これに対して、特に状態を表さない単なる名詞に「なり」「たり」が付くこともあります。
例:時は金なり。
母なる大地。
証拠たりえず。
父たる者の務め。
古典文法では一般に、こうした「なり」「たり」は《断定》を表す助動詞であるとして、先述の形容動詞とは区別されます。しかし実際の使用においてはこれらを形容動詞とは別物として覚え直す必要は全くありません。「なり」「たり」という終止形の見た目だけでなく、活用の仕方も同一(ラ行変格活用)だからです。「猫ならず。(=猫ではない)」「猫なりけり。(=猫だった)」のように、形容動詞と同じように使えます。連体修飾の場合に連体形「なる」だけではなく格助詞「の」も用いられるという点が形容動詞とは異なりますが(例:猫の目)、連体修飾の「の」の使い方は現代語とおおむね同じなので、特に迷いなく使えるでしょう。
形容動詞と同じく、「なり」より「たり」の方が厳めしい感じがありますが、「父たる者」「リーダーたる資格なし」のように漢語でなくても結び付くので、形容動詞の場合より広く使えます。
日本語学では「なり」「たり」を助動詞とは区別して繋辞(コピュラ)と呼ぶことが多いです。現代語の「だ」も繋辞に含まれます。
練習問題
冒頭で示した問題を、解説付きで改めて見てみましょう。
問①:[豊かではないが]幸福なり。《なり》 ※~ないが:未然形+「ねども」
解答:豊かならねども幸福なり。
解説:形容動詞「豊かだ」の古文の形は「豊かなり」。ラ行変格活用で、未然形は「豊かなら」となります。
問②:君よ、とこしへに[幸福であれ]。《なり》
解答:君よ、とこしへに幸福なれ。
解説:形容動詞「幸福だ」の古文の形は「幸福なり」。ラ行変格活用で、命令形は「幸福なれ」となります。
問③:[堂々とした]幕切れ。《たり》
解答:堂々たる幕切れ。
解説:「堂々としている」は、古文では形容動詞として「堂々たり」とします(「堂々なり」でもよいのですが、より硬い「たり」の方が相性が良い)。ラ行変格活用で、連体形は「堂々たる」となります(名詞「幕切れ」に続くので連体形になる)。
問④:[鳥であるが]飛ばず。《なり》 ※~だが:已然形+「ども」
解答:鳥なれども飛ばず。
解説:「名詞+だ/である」という断定は、形容動詞と同じく古文では「なり」で表現できます。ラ行変格活用で、已然形は「なれ」となります。
問⑤:遠くに[見えるのだ]。《なり》
解答:遠くに見ゆるなり。
解説:「活用語+のだ/のである」という断定にも「なり」が使えます。接続は連体形なので、二段活用「見ゆ」では「見ゆる」となります。
問⑥:[静かだった]。《なり》 ※~た:連用形+「けり」
解答:静かなりけり。
解説:形容動詞「静かだ」の古文の形は「静かなり」。ラ行変格活用で、連用形は「静かなり」となります。
ところで、現代語で「同じ」は連体修飾では「同じ夜」のように活用せずそのままくっつきます。これは、形容詞としても形容動詞としても普通の形ではありません。実はこの用法は非常に古くからあって、『万葉集』に「同じ国」、『竹取物語』に「同じ所」のような例があります。よって、現代の古文でも連体修飾に「同じ」を使うことは差し支えありません。形容詞連体形の「同じき」も古くから使用例がありますので(例:「同じき里」『万葉集』)、古めかしさを出したい場合はこちらを使ってみるのもよいでしょう。
[1] 藤子・F・不二雄「ままごとハウス」(『藤子・F・不二雄大全集 キテレツ大百科②』収録)より。 [2] 連用形が二つあることになりますが、「に」の方は主に連用修飾(例:静かに燃ゆ)で用い、「なり」の方は主に助動詞へ続ける時(例:静かなりけり)に用います。 [3] 現代語にもこれに対応するものとして「に」「で」があります(「で」の例:静かでいる)。 [4] たとえがどっちも古いよ。 [5] この「と」はandの意味ではなく「淡々と話す」「さらさらと流れる」のように動作の様態を表す「と」です。
著者プロフィール
京都大学大学院文学研究科准教授。専門は日本語の歴史。主な著書に、『平安時代における変体漢文の研究 』(勉誠出版、2019年)、『#卒論修論一口指南』 (文学通信、2022年)など。
X(旧Twitter): https://x
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