国語教師のための古典文法指導講座
第16回 「(棄)つ」と「(往)ぬ」――古文日記に挑戦②
大倉 浩
- 2025.12.10
八月四日 晴れ。朝からとても暑くなった。朝練で学校に行き、図書室に本を返した。夕食後スイカを食べた。
古文作文を続けながら、古文解釈の鍵の一つである助動詞のお話をしています。この古文訳は
葉月四日 天晴。つとめてよりいと暑くなりぬ。朝稽古に学び舎へ参り、文倉に草紙を返しつ。夕餉の後西瓜を食ひき。
となるでしょうか。前回は過去の「き・けり」、今回は同じく連用形接続の助動詞、完了の「つ」と「ぬ」です。
まず、二語とも「き・けり」と同じく接続が連用形ですから、動詞に由来する助動詞と推定できます。「ぬ」は、以前にも述べたように、ナ変型の活用から見て、ナ変動詞「往ぬ」に由来する助動詞です。「往ぬ」が、人が目の前に現れそして去っていく動きを表すように、「ぬ」は、ある動作や変化が実現することを確認する意味を表します。古文日記では、朝から暑さの変化があったことを実感しているところなので「暑くなりぬ」と訳しました。
いっぽうの「つ」は、下二段活用動詞「棄つ」に由来する助動詞と考えられます。物を放り投げて、目の前から消してしまうのが「棄つ」ですから、ある動作や変化を実現させて区切りをつけるのが、助動詞「つ」の意味です。日記では、借りていた本を返してしまったので「返しつ」と訳しました。
日本語では狭母音のイやウが脱落する例は、
「いだく」 → だく(抱く)
「うばら」 → ばら(茨・薔薇)
など、古くからありますし、助動詞化する過程で語形が縮約されていくことは、現代日本語でも、
~シテイル → シテル
~シテシマウ → シチャウ
など、補助動詞が、話しことばで縮約することからも了解できます。ちなみに、英語では、have+過去分詞で現在完了を表しますね。日本語では「去る」や「棄てる」に由来する助動詞を用いているのに、英語は「(過去の行為を)所有している」という、真逆の意味の動詞を使っているのもおもしろいですね。
「つ・ぬ」については、同じ「完了」でも、接続する動詞が異なること(他動詞・作為的:つ 自動詞・無作為:ぬ)や、意味に違い(変化結果の残存:つ 動作の発生:ぬ)がある、などの説明が副読本や古語辞典にあります。これも参考に、「暑くなりぬ」「返しつ」と古文訳しました。ただ、文法史的観点に立てば、助動詞「つ・ぬ」は、本動詞「棄つ・往ぬ」の意味が残っていて、平安時代には、それぞれ接続に偏りがあり、そのために助動詞としては定着せず、鎌倉時代以降は「たり」に取って代わられてしまった、と見ることもできるのです。
また、解釈で注意していただきたいのは、「完了」という用語に惑わされないことです。「準備完了」というように、単に日本語で「完了」というと、(すべき作業が)すべて終わったことを意味しますから、文法的意味の「完了」も、時間的に過去のことと混乱しやすいのです。しかし、文法用語としての「完了」は、英語で perfect です。動詞が示す動作や変化の様々な「完成・完結」の意味と考えて、「つ・ぬ」を柔軟に解釈してください。
たとえば、桜が咲く動作の完成を表現するのが「花咲きぬ」です。まだ花は咲いていて散ってはいません。これに対して、花びらを散らす風の動作の完成を表現するのが「風花を散らしつ」です。ここでは花びらは枝には無く、周辺に散ってしまっています。
こうした動作・変化の完成が、過去の出来事であれば、「てき/にき」「てけり/にけり」となります。完成が、これから先に確実に予想される動作・変化であれば「てむ/なむ」「つべし/ぬべし」と、推量の助動詞を続けて「確認・強調」の意味になるわけです。
『国語教室』第124号より転載
著者プロフィール
大倉浩(おおくら ひろし)
筑波大学名誉教授
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