ことば・日本語

名字・名前と漢字
第2回 漢字圏の名字事情(1)
笹原宏之

日本語を構成する重要な固有名詞である名字と名前のおもしろさ、その実態と背景に迫っていく本連載。第2回では漢字圏の名字、特に中国と台湾の名字に着目する。

『中国姓氏大辞典』

 前回は、世界全体の名字の状況を概観し、ローマ字を使った名字の実情としてアメリカの名字の統計を眺めた。続けて今回は、アジアの漢字圏に目を転じよう。

 世界の国家の中で、人口が最も多い中国(中華人民共和国)では、名字のランキングはどうなっているのであろうか。かつては統計情報があまり公開されず、数字のない国などと揶揄された時期もあった。筆者も教科書や資料集で、中国のデータが抜けている地図や図表をしばしば目にしたものである。しかし、今や統計資料が整い、公開されてもいて、国家が国民全員を把握しきっているかのように思われることもある。

 過去に文献資料に記録された名字の種類は、2万を超えているという。袁義達・邱家儒編『中国姓氏大辞典』(江西人民出版社、2010年5月)には、古代から現在まで、歴代の文献や全国人口普査資料などから中国で使用された名字2万3813種を収集、収録し、出典と分布なども示すようにしてある。ここでいう全国人口普査資料というのは、『伊吾県姓氏』(伊吾県は新疆ウイグル自治区内)、『新昌県姓氏』(新昌県は浙江省内)など、全国各地の地域ごとの資料を集めたものを指すようだ。このように個別の市や県の成果に当たることが、これまでも時折なされてきた(袁義達・杜若甫『中華姓氏大辞典』教育科学出版社、 1996年。竇学田『中華古今姓氏大辞典』警官教育出版社、1997年)。

 この辞典によると、漢民族のほとんどが用いる1文字の名字は6931種、2文字の名字は9012種、3文字が4850種、4文字が2276種、5文字が541種などとなっている。

 そのうち、現在でも使用されている名字は7000余種で、漢民族がその半数を占めるという。

 「司馬」「諸葛」「欧陽」など歴史上の人物にも見られる複姓(2文字以上の姓)は、今でも中国や日本のテレビなどで見かける。ただ、3文字以上の名字は、ほとんどが少数民族の名字を音訳、漢字表記したもので、最も長い名字は10文字に及ぶという。その最長の名字はチベット(蔵)族の「爾川扎木蘇他爾只多」だと言われ、報道されたこともある(ただし、筆者の入手したこの辞典は初版となっているのだが、掲載されていない)。

中国政府の公式数値

 『中国姓氏大辞典』刊行以前の2006年に、同辞典の編者である中国科学院遺伝・発育生物学研究所の袁義達と中国丘氏宗親聯誼会会長の邱家儒の両氏は、中国の2億9600万人の名字を調べ、公表したことがある。この段階では、使われている名字は4100種であり、歴代の資料よりも少ないとされていた。『中国姓氏大辞典』での7000余種という数字との違いが、何によるのかは残念ながら分からない。袁氏は、それまでにも歴代の大姓(ポピュラーな姓)の変遷や、名字別の血液型比率についても共同研究を行ってきた人物である。

 その後、中国の公安部治安管理局は、2007年時点で、全国の戸籍上では、名字は4700種余りあると公表した(「全国戸籍人口統計分析」)。これが政府の示した公的な数値と言え、画期的なデータである。人口の割に、名字の種類が少ないことが分かる。

中国で最も多い名字は何か

 人口の多い名字については、人々の経験から生まれた「張三李四」ということばが事態をよく表していると考えられていた。張さんの三男と李さんの四男を意味し、平凡なつまらない人のたとえとして使われる。張も李も中国ではありふれた姓であることから生まれたことばだという。また、古くは文字を学ぶための教科書として、数百の名字を収めた『百家姓』が編まれ、よく目にする名字はこの中にあると考えられていたものである。1984年には、文字改革委員会(現在、国家語言文字工作委員会)が「王」姓が最多であるとの推測を発表したが、中国科学院などからは「張」ないし「李」のほうが多いといった推計や主張も現れていた。

 そうした中で、中国社会科学院語言文字応用研究所漢字整理研究室編『姓氏人名用字分析統計』(語文出版社、1991年)に示された、7つの都市を対象としたサンプリング調査では、「王」「陳」「李」「張」「劉」の順となっていた。ほかにも、方言区画を加味するなど種々の先駆的なサンプリング調査が行われたが、巨大な実像の前で、推計値は揺れつづけた。

 そして、先ほど引いた「全国戸籍人口統計分析」によると、実際には次のようになっていたことが明らかとなった。中国国内の名字に関して、長年の論争に終止符が打たれたのである。

順位 名字 人口 占有率
1 9288万1000人 7.25%
2 9207万4000人 7.19%
3 8750万2000人 6.83%

 

それぞれの名字の人だけで独立国を作ることができそうな人数である。中国の人が14~15人集まれば、王さん、李さん、張さんが1人ずついる計算となる。これらは、唐代までの「四姓」の中に現れていたという(奥富敬之『名字の歴史学』)。つまり、古くから有力氏族の名字に使われていたものであり、歴史上著名な大姓なのである。

 2013年4月14日、新華社の報道によると、上記の袁義達が属する中華伏羲文化研究会華夏姓氏源流研究センターが行った最新の調査でも、現在最も多い名字は「王」で、9500万人に増えているという。なお、2010年の人口調査に基づくと称するランキングもネット上に見かけられるが、過去に示された比率の推計に、2010年時点の人口を掛け合わせたものではないかと疑われている。

中国の名字トップ10

 続いて、人口はさらに概数となるが、4位以下は下記のようになっていた。

順位 名字 人口 占有率
4 6700万人 5.23%
5 5800万人 4.53%
6 4000万人 3.12%
7 3100万人 2.42%
8 2600万人 2.03%
9 2500万人 1.95%
10 2400万人 1.87%

 

 ここまでで、かつての国姓つまり皇帝の用いた名字がいくつも含まれている。中国では、王朝が交代する理論的根拠として「易姓革命」が周知のものであった。天命によって王朝が交代し、このとき支配者の名字も変わる(姓が易わる)とされたのである。これらの名字の発音は、現代中国語では声調が1声や2声、つまり歴史的な四声では平声となっているものが多い。これは偶然というよりは、そういう発音が固有名詞の1字目として好まれたということも影響したのではなかろうか。2字の熟語には、同様の傾向があることが知られている。

 この時点で、第1回の最初に見た世界トップ10の表は改めなければならないだろう。他国の実状によっては、上位10位はすべてが漢字系の名字で占められることになりそうだ。なお、2007年4月の報道によると、中国では、トップ100の名字で、全人口の84.77%を占めるという。

 これらに、さらに香港、澳門(マカオ)、台湾などに暮らす中国系の人々を加えると、「李」が「王」を逆転するとも言われている。ローマ字やハングルなどの表音文字を正式な表記としているような華僑は除いたとしても、漢民族では、「李」が最多と言われることもあり、ことによると、これが世界一多い名字ということになりそうである。この「李」だけでも、もとは裁判官で「理」であったというもの(裁判官のことをかつては「理官」と呼んだ)など、出自や由来の伝承は数百通りも知られている。

 中国では、戸籍に載せない子供も存在しているとされ、それらも含めた人口調査を、改めて実施すると報じられた。外国在住の人たちまで含めるとのことで、どこまで把握でき、どのような成果が公表されるのか、結果が注目される。

 中国の珍しい名字の数々

 現在の中国には、「米」「酢」「塩」といった珍しい名字がある。また、「山」は現代中国音ではshan1(シャン)と読むが、名字としてはya(ヤ)と読ませるものが見つかっている(山を「[1]とする記録もある)。12世紀、金に抵抗した英雄である岳飛の末裔で、「岳」姓を隠すためにこうしたという。「」は、周代にまでさかのぼる歴史のある姓で、zhang3(チャン)と読むが、中国でも見たことがないという人が多く、旁(つくり)の「几」からの当て読み、類推読み(いわゆる百姓読み)でji3(ジ)と読まれることがある。

 「死」という名字も実在している。3~6世紀の六朝時代に少数民族の4字の音訳による名字に含まれていた1字が残ったものとされる。教え子の女子留学生が、以前、クラスの男子に実際にいたと話してくれた。その彼は無口で一言も喋らなかったけれど、クールでかっこよかったそうだ。

 なお、2007年の統計によれば、当時最も人口の少ない名字は「難」であったという。

 コンピューターで登録できない名字や名前も問題となっている。既存の漢字に対する異体字の類いがほとんどのようだが、名字のための造字もあるほか、非常に変わったものとしては、四川省に「〇」と書く名字の男性が1人だけいると報じられたことがある。ling2(リン)と読むそうで、読みから考えると漢数字の「零」ということなのだろうが、由来は何で、また両親や子供の名字はどうなっているのかは分からない。「零」姓はあるので、その略記なのかもしれない。いずれにせよ、「難」よりももっと希少ということになろう。漢字以外のローマ字やこうした希少な名字は、行政が使用しているシステムで扱うことができないという。

中国の名字の今

 中国では、結婚しても夫婦はいずれも名字を変えることがない。その子供は原則として父親の名字を受け継ぐが、近年は父母の名字を連ねるケースが増えている。まれに両親とは別の名字を選ぶケースもあるようだ。

 「範」が簡体字では「范」になるなど、中国では戦後に新たな漢字の整理を経た。これによって、たとえばウェブサイト上では同じ人物の名字で「範」「范」が混在しているケースも見受けられ、日本人から見ると過去とのつながりや漢字同士の関連が分かりにくくなったものもある。「瀋」と「沈」も、中国でも混乱が生じている。

 広大な中国では名字にも、山東ならば「孔」、江蘇ならば「徐」「朱」、上海ならば「沈」「陸」、福建ならば「鄭」、広東ならば「」「梁」「羅」「黄」、新疆ならば「馬」(イスラム系でムハンマド[モハメッド、マホメットなどとも言う]の音訳から)、散在する客家(ハッカ)ならば「饒」が多いなど、地域による特色に差があることもよく知られている(先述の『姓氏人名用字分析統計』ほか)。「」「」などの方言文字を用いたもののほか、少数民族には、「」のように、固有の事物を表すための造字を用いるケースもあるようだ(この字は岩山を指す)。

台湾の名字事情

 台湾(中華民国)でも、政府がきちんと全体の統計をとって、公開もしている。内政部による2012年の調査では、トップ3は、次のようになっている(内政部の発表を参照)。

順位 名字 人口 占有率
1 258万8958人 11.13%
2 193万0778人  8.30%
3 140万3839人  6.03%

 

 ここからは、やはり隣接する大陸の福建や広東辺りに多い名字が優勢であることがうかがえる。福建には「陳林半天下」(「陳」と「林」という名字で天下の半分を占める)ということわざがあって、これをよく反映していると言えるだろう。台湾の内部での地域差は小さい。

 以下、「張」「李」「王」「」「劉」「蔡」「楊」「許」「鄭」「謝」「郭」「洪」「邱」「曾」「廖」「賴」「徐」「周」「葉」「蘇」「莊」「呂」……と続く。これで、日本にいる中国や台湾の人たちの名字の印象と一致したという人も多いのではないだろうか。

 なお、姓名の字数が13文字に達する男性もいるという(「中華民国内政部戸政司戸籍資料統計」2010年7月1日)。この統計では、異体字に相当する「高・」「・黄」「・温」「龐・」などを分けて集計しているそうだ。先住民の漢字姓など、台湾にしか見られない名字も含まれている。

 ここまで見てきた中国、台湾の状況は、漢民族の名字の典型を表していると言える。

 では、同じ漢字圏にある韓国は、どのようになっているのだろうか。中国と似ている部分と違っている部分があると、漠然と思われているかもしれない。次回、具体的にデータを示しながら扱うことにしたい。

 

《注》
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  • [1] 【山×丘】(上が「山」で下が「丘」)。

 

著者プロフィール

笹原 宏之(ささはら ひろゆき)

1965年東京都生まれ。  早稲田大学第一文学部で中国語学を専攻、同大学院では日本語学を専攻。博士(文学)。早稲田大学社会科学総合学術院教授。  経済産業省の「JIS漢字」や法務省法制審議会の「人名用漢字」の改正、文部科学省文化審議会の「常用漢字」の改定などにも携わる。  著書に『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂、金田一京助博士記念賞)、『訓読みのはなし』(角川ソフィア文庫)、『方言漢字』(角川選書)、『漢字に託した「日本の心」』(NHK出版新書)、『漢字の歴史 古くて新しい文字の話』(ちくまプリマー新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)など。

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