ことば・日本語

名字・名前と漢字
第1回 世界の名字事情 ――日本人の名字を知るために
笹原宏之

日本人の名字はおもしろい。


 「服部」をハットリ、「小鳥遊」をタカナシと読むのはなぜ? 「大谷」はオオタニ・オオヤ、「中島」はナカジマ・ナカシマと、読み方が分かれる理由とは? 日本には、中国の王(ワン)氏、韓国の金(キム)氏のような漢字一字の音読みの名字はないのか? 「佐藤」と「藤田」などの人口が、地域によって異なるのはなぜ? ハンコからはみ出すほどの日本で最も長い名字とは?
 下の名前は、さらにおもしろい。
 「苺」は2004年に解禁され、すでに幼稚園では当たり前になってきた。「一二三」はワルツ。では、「三二一」は何と読む? 森鷗外は自分の子供に於菟(おと)、茉莉(まり)、杏奴(あんぬ)、不律(ふりつ)、類(るい)と欧風の名をつけた。では、今日の命名と鷗外の頃の命名とは、何が違うのか?
 この連載では、日本語を構成する重要な固有名詞である名字と名前のおもしろさ、その実態と背景に迫っていく。第1回ではまず、「世界の名字」を概観してみよう。

名字と名前

 地球上に暮らす人々は、それぞれが自身の名をもっている。そして、たいていは、一族や血脈を表す「名字」(「姓」「氏」などとも呼ばれる。英語では last name, surname, family nameなど)と、個人を表す「名前」(「名」。英語ではfirst name)とを兼ね備えている。

 ただし、民族によっては、名字をもたないケースもある。たとえばモンゴル人は、日本人のような名字はもたない。元横綱朝青龍は引退後「ドルゴルスレン・ダグワドルジ氏」と紹介されることが多いが、「ドルゴルスレン」は父称(父親の名前)、「ダグワドルジ」は名前である。これとは別に氏族の名称があるが、通常は用いられない。法務省の人も、在留資格取得のための申請書に名字の欄があるので困ったと話していた。モンゴル人と同様にアイスランド人も、父称を名字のようにしているという。

 名前(日本人の場合は、下の名前)は、生まれたときに正式に与えられ、人生の途中で変更されることもあるが、名字とともに公文書にも登録され、日々呼ばれたり、書かれたりする重要な存在だ。

 名字と名前は、個人を特定することには必ずしもつながらないが(同姓同名もあるので)、個人を識別するための参考情報の一つであり、生前はもちろんのこと、没後にも墓石に刻まれたり、数々の言及を受けたりする。そして、世上でさまざまな関心が寄せられるものである。

世界の名字事情

 まずは、全世界の名字について興味深いデータがあるので引いてみよう。「10 of the Most Common Surnames in the World(世界でいちばんよく使われる10の名字)」という果敢な資料を見ると、トップ10を次のようにしている。

順位 名字 人数
1 Li / Lee(リー) 1億人以上
2 Zhang(チャン/ジャン/ツァン) 1億人以上
3 Wang(ワン/ウァン/ウォン) 9300万人以上
4 Nguyễn(グエン) 3600万人以上
5 García(ガルシア) 1000万人以上
6 González(ゴンサレス/ゴンザレス) 1000万人以上
7 Hernández(エルナンデス/ヘルナンデス) 800万人以上
8 Smith(スミス) 400万人以上
9 Smirnov(スミルノフ) 250万人以上
10 Müller(ミュラー) 100万人以上

 

この表によると、上位10位は漢字圏とラテン系言語圏、英語圏、ロシア語圏、ドイツ語圏にある人々からランキングが構成されている。Nguyễn(グエン)はあまりなじみのない名字かもしれないが、後で述べよう。これは、ネット上の事典「Wikipedia」に基づくランキングとされている。

 ちなみに、かつて『ギネスブック』には、中国系の名字「張」(チョウ)が1億人近くで最多だと出ていた。

 この資料は世界の名字の様子を大づかみに見るには参考になるが、

  • ・人口が13億人以上いる中国の名字は、大きく水をあけられた4位以下には入らないのか?
  • ・人口が12億人を超えたインド人(Shetty など)、イスラム教世界の人々などの名字の位置は?
  • ・日本人の名字は本当に入らないのか?

など、数々の疑問がわいてくる。

ローマ字圏の名字事情――アメリカを例に

 続けて、より正確な現況を求めて、ローマ字圏を代表してアメリカの名字を見てみよう。

 アメリカ合衆国(United States of America)は、現在では人口が3億人を超えている。英語使用者が最も多いが、先住民族ネイティブアメリカンと、世界各国からやってきた多数の移民によって構成される国であるため、名字は各国のものがローマ字となって入り交じっている。アメリカ社会保障局が最初のアルファベット6文字から調査したところ、160万種類に達していると推定されるという(http://blog.livedoor.jp/namepower/archives/1237794.html)。1964年の当時は109万1522種だったというので、数十年間でかなり増加しているようだ。アメリカ商務省国勢調査局によれば、2000年の時点で、人口100人以上をかかえる名字だけで、15万1671種に達している(http://www.census.gov/genealogy/www/data/2000surnames/index.html)。そこには、アジアからの人々として日系、中国系、韓国系、ベトナム系などの名字ももちろん含まれている。

 それほどたくさんあるアメリカの名字のうちで、使用人口が多いものは何であろうか。これについても、アメリカ商務省国勢調査局が統計をとっており、部分的ではあるが一般に公開している。それ(前出の資料)によれば、2000年現在、次のようなランキングになっている。

順位 名字 人数
1 SMITH(スミス) 237万6206人
2 JOHNSON(ジョンソン) 185万7160人
3 WILLIAMS(ウィリアムズ) 153万4042人
4 BROWN(ブラウン) 138万0145人
5 JONES(ジョーンズ) 136万2755人
6 MILLER(ミラー) 112万7803人
7 DAVIS(デイヴィス) 107万2335人
8 GARCIA(ガルシア) 85万8289人
9 RODRIGUEZ(ロドリゲス) 80万4240人
10 WILSON(ウィルソン) 78万3051人

 

 ここには挙げていないが、サイト上に公開されているファイルには、スミス姓の73%余りが白人であるなど、人種・ルーツの比率の細かいデータまで示されていることに驚かされる。こうした細かい数値を通して、移民の受け入れや定住の状況も客観的にうかがうことができる。

 確かに、私がよくプロ野球を見ていた頃、ウイリアムズ選手はみな黒人であったし、ロドリゲスはヒスパニック(中南米の出身か中南米からの移民)だったような気がする。これより下の順位に登場するジャクソンも「ジャクソン5」は確かに…など、あれこれと思い当たることがある。

 世界ランキングで5位だったガルシアは、ここでは8位に入っている。世界ランキングでは10位に入っていなかったロドリゲスが、世界ランキング6位・7位のゴンザレス、ヘルナンデスよりも多くなっている。世界ランキング10位のミュラーは「100万人以上」だったが、世界ランキングに入っていないジョンソンが、アメリカランキング2位で「185万7160人」となっている。

 このように、いわゆる人種の坩堝らしく、アメリカにはさまざまなルーツに由来する名字があふれている。このことは、メディア露出の多いアメリカの芸能人や大リーガーを思い浮かべてもらうと、首肯される点が多々あろう。

 そもそも、アメリカ大リーグから入ってくる細々とした記録は、ひとつひとつのプレーを細かくデータ化してきたことに裏付けられたものである。論理的な思考にデータを組み込む文化、数字を大切にする文化であることがよくわかる。こうした歴史も100年ほどは遡ることができるようになっている。

 ランキングを眺めると、移民の国らしく、上位はやはりドイツ系、イギリス系など西ヨーロッパの名字が多いことがうかがえる。地名や職業、特徴のほか、「~son」「Mc~」など父親の名を受けたものが目立つ。「~son」は文字通り「~の息子」、「Mc~」もケルト語系の名字に使われ「~の息子」が元の意味である。

 英語圏では「スミス」が多いということは、しばしば語られるところだが、実際にはアメリカでは100人に1人もいないことが、この資料からわかる。2000年の時点で、すでに3億人に近かった総人口のうちで0.88%に過ぎず、1%にも及ばないのである。

 スミス姓についてさらに調べてみると、アメリカでは、2013年3月の時点で271万3582人に増えているとある(http://names.whitepages.com/last/Smith)。全米各州に分布し、南部、とくにテキサス州に多い。smithは、古英語では職人、鍛冶屋といった意味で、職業から名字になったものとされている。『国富論』を書いたアダム・スミスもイギリス人だ。

 ランキングの中には、漢字圏の音読みの1字の名字とみられるものも入っている。綴りと人種比からしか推測できないので、異なる由来のものもありうるのだが、たとえば、次のようなものがある。

順位 名字 人数
22 LEE(リー) 60万5860人
57 NGUYEN(グエン) 31万0125人
109 KIM(キム) 19万4067人
424 CHANG(チャン) 6万9756人
438 WANG(ワン/ウァン/ウォン) 6万7570人
963 ZHANG(チャン/ジャン/ツァン) 3万3202人
55732 GIM(キム) 344人

 

そのほかのローマ字圏の国では、イタリアには名字が35万種以上あるといわれている。フィンランドも人口は約500万人と少ないにもかかわらず、名字は約6万種にのぼるといわれ、人口比では種類が多いといえる。

 ここまで、アメリカを中心にローマ字を使った欧米の名字の概況を見てきたが、漢字で書かれる名字のほうはどのようになっているのだろうか。次回は、漢字圏に目を移そう。

 

著者プロフィール

笹原 宏之(ささはら ひろゆき)

1965年東京都生まれ。  早稲田大学第一文学部で中国語学を専攻、同大学院では日本語学を専攻。博士(文学)。早稲田大学社会科学総合学術院教授。  経済産業省の「JIS漢字」や法務省法制審議会の「人名用漢字」の改正、文部科学省文化審議会の「常用漢字」の改定などにも携わる。  著書に『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂、金田一京助博士記念賞)、『訓読みのはなし』(角川ソフィア文庫)、『方言漢字』(角川選書)、『漢字に託した「日本の心」』(NHK出版新書)、『漢字の歴史 古くて新しい文字の話』(ちくまプリマー新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)など。

 

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