名字・名前と漢字
第6回 日本に多い名字とは?(1)
笹原宏之

世界の名字・名前事情を踏まえ、名字と名前に使われる漢字のおもしろさに迫っていく本連載。第6回からは日本の名字と名前に話題を移し、まずは日本で使われる名字に着目する。
名字にまつわる日本の歴史
ここまで、欧米と東アジアの名字と名前を見てきた。それらを踏まえながら、いよいよここから日本の名字へと移ることにしよう。
日本に住む人々には古くから、氏族の名称である氏(うじ)、天皇が与えた姓(かばね)を持つ者がいた。それらが次第に今の名字と共通する一族の称号へと変わっていき、また次々と新しいものが生み出されていった。
それらは漢字で表記されるようになってから、すでに1000年以上の永い時が流れている。これを名字と呼ぶが、「苗字帯刀」などと「苗字」と書くのは江戸時代あたりからのことであった。
「苗」には、苗裔(びょうえい。遠い子孫、末裔という意味)などで使われるように、血脈に関する字義がある。「苗字」というのは、「苗」に「ミョウ」という日本で「名」と合流した発音があることを考慮した当て字であるが、現在では「ミョウ」の読みは常用漢字表外音となっており、意味のつながりからも難しさを感じさせるだけに、「名字」よりも古い元々の表記と意識されがちである。
「苗字帯刀」が禁令などで制限されたにもかかわらず、江戸時代には、農民など、武士以外の人々がすでに名字に相当するものを持っていた例が多数知られるようになっており、今日では明治以前に多くの人々が名字のようなものを名前の前に付けて名乗っていたことが定説となっている。
明治時代に入ると、近代的な戸籍制度が整備されるとともに、皇族を除く国民全員が名字を正式に持つこととなった。当時、700万ほどあった世帯ごとに戸籍が編成されたのである。また、夫婦同姓という必ずしも習慣となってはいなかった風習も、明治になって曲折を経て制度化されるに至った。
名字ランキング――ただし手がかりとしての
1億2700万人余りという現在の日本の人口は、やはり決して少ない数ではない。億という単位は、かなり大きいということしか頭に浮かびにくいが、改めて小さなまとまりに分けて100万が100、1万が1万集まった規模と捉えると、多少ではあるがその大きさをイメージできるようになるだろう。
奈良時代には、人口はおおよそ500万人くらいだったと推測されているそうだが、その後おおむね順調に増加を続け、1967年に1億の大台を突破した。2008年をピークに減少しつつあるものの、それでも依然として1億2000万人を超えており、中国と比べれば10分の1程度にすぎないが、世界の中でも10位に入る大国である(世界の総人口は、現在おおよそ70億人くらいである)。
それでは、そうした日本人のうちで、多くの人口を擁する名字は何であろうか。
実は、日本では、政府が名字の統計を取ったことは一度もない。
よくテレビ番組などで、名字ベスト10のようなそれらしいランキングが発表されているが、それらはいずれも民間の会社や人々が公的なデータの欠落を補うべく試みてきた結果が引かれていたに過ぎないのである。これまでに見てきたアメリカや中国・韓国の統計とその公開の状況と比べ、文化や社会、歴史に対する行政の認識の低さが滲み出ている。これに抗議する納税者の声は民間のあちこちから挙がってきたが、データが行政機関に存在しているにもかかわらず、いまだにその活用の動きは見えない。
皮肉なことに、先のアメリカのランキング(第1回参照)では、日系人と思われる名字が散見される。もちろん、ローマ字綴りなので、他の国の名字が含まれる可能性はあるし、移民となって定住する際にアメリカ人としてふさわしいように、発音されやすいようにと日本式の名字を改姓したケースも多い。ともあれ、そこから少し抜き出してみよう。
順位 | 名字 | 人数 |
---|---|---|
4160 | Tanaka | 7887人 |
4203 | Nakamura | 7821人 |
4289 | Yamamoto | 7652人 |
4726 | Sato | 6864人 |
5115 | Watanabe | 6295人 |
6045 | Suzuki | 5233人 |
6378 | Takahashi | 4913人 |
6769 | Kato | 4591人 |
6858 | Matsumoto | 4520人 |
6928 | Yamada | 4466人 |
単純に漢字に直すと、「田中」「中村」「山本」「佐藤」「渡辺」「鈴木」「高橋」「加藤」「松本」「山田」あたりとなり、米国内ではこの順で多いようだ。もちろん、ローマ字表記なので、元をたどれば「仲村」「山元」「渡部」「松元」などの名字もここには含まれていたのだろう。
このランキング、皆さんの実感と比べるといかがであろうか。続けて、下位のランキングでは、次のような名字が目に付く。
順位 | 名字 | 人数 |
---|---|---|
7497 | Yoshida | 4097人 |
10907 | Fujimoto | 2678人 |
「吉田」「藤本」は、確かに日本国内にもいるが、ランキングと比べたとき、その名字の人に実際に会う頻度については違和感を抱く向きもあることだろう。さらに、
順位 | 名字 | 人数 |
---|---|---|
7814 | Higa | 3925人 |
9340 | Oshiro | 3202人 |
あたり、つまり「比嘉」「大城」ともなると、おや、これは? もしかして? と感じる人もいることだろう。
なお、こうしたローマ字の綴り方は、パスポートに記すようなヘボン式であったとしても、そして相手がアメリカ人やイギリス人であっても、望むようにきちんとは読んでくれないケースがある。さらに、ヨーロッパに赴けば、ドイツ人には「Sato」はザト、「Suzuki」もズツキ、フランス人には「Higa」がイガ、スペイン人には「Hojo」(北条)はオホ、イタリア人には「Chiba」はキバなどと読まれがちである。つまり、ローマ字は表音文字とはいうものの、各国の綴り方の規則に基づく個別の機能の中に放り込まれる。
また、一族や家を表す名字が、日本では個人を表す名前よりも先にくるのは、中国文化の影響とも考えられるが、英語にする時に抵抗感なく、むしろ積極的に順序を変えるというのは日本の特徴であった(かつて文化庁の「国語に関する世論調査」でも、問いを変えて繰り返し取り上げられた)。しかし近年では、欧米式に名前・名字という順、つまり、
Hiroyuki Sasahara
式から、日本での順のままとする、
SASAHARA,Hiroyuki
へという変更が国を挙げて進められている。
名字調査の歩み
このようなアメリカ当局による統計に表れた日本風の名字が、日本での大姓(数の多い名字)を反映していると見ることが、果たしてできるのだろうか。
ここからは、日本人自らが、日本に住む人々にどのような名字が多いのかを追いかけてきた苦闘の歴史を振り返っていこう。
明治初めの「壬申戸籍」(1872)以降、国民全員の名前が公的に登録されるようになった。続けて名字を国民全員が持つように義務づけられ、戸籍にも記載されるようになった。今では、戸籍(電算化が進められている)に基づく住民基本台帳はすでに電子化を完了しており、そのほとんどが住基ネットに接続されている。しかし、そこにある姓名に対する統計調査が政府の手でなされたことは、今に至るまでない。朝鮮半島など植民地において、現地で使われている名字の悉皆調査を行ったこととは対照的である。
明治の頃ならば、すでに個々の家の名字がどのような由来を持っているのかは、まだ伝承し得たはずであるが、日本の多くの家庭ではそれが受け継がれてこなかったことも指摘せざるを得ない事実であり、その関心は草の根においても低かったのである。
明治の末に、民俗学者の柳田国男は自らが多いと感じた名字を著作の中で挙げていたが、主観によるものであろう。氏族制度を研究した太田亮は、『姓氏家系大辞典』(角川書店、1963年)の昭和甲戌(1934)の凡例において、「一氏」で「数千の苗字を起こせしものあり」と述べるにとどまる。
そうした寥々とした情報不足の状況の中で、戦前から、日本の名字についてサンプルを対象として捕捉しようとする意欲的な研究が始まっていた。後に洋学や辞書の研究者となる惣郷正明が先鞭を切ったのである。
著者プロフィール
笹原 宏之(ささはら ひろゆき)
1965年東京都生まれ。 早稲田大学第一文学部で中国語学を専攻、同大学院では日本語学を専攻。博士(文学)。早稲田大学社会科学総合学術院教授。 経済産業省の「JIS漢字」や法務省法制審議会の「人名用漢字」の改正、文部科学省文化審議会の「常用漢字」の改定などにも携わる。 著書に『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂、金田一京助博士記念賞)、『訓読みのはなし』(角川ソフィア文庫)、『方言漢字』(角川選書)、『漢字に託した「日本の心」』(NHK出版新書)、『漢字の歴史 古くて新しい文字の話』(ちくまプリマー新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)など。
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