名字・名前と漢字
第3回 漢字圏の名字事情(2)
笹原宏之

世界の名字・名前事情を踏まえ、名字と名前に使われる漢字のおもしろさに迫っていく本連載。第3回では韓国とベトナムの名字に着目する。
韓国の名字――その歴史
前回は漢字圏でも特に中国・台湾の名字を取り上げた。同じ漢字圏に属し、古くから族譜が編まれるなど名字を大切にしている韓国(大韓民国)では、どのような状況になっているのだろうか。
朝鮮半島では、かつて古朝鮮の時代には、朝鮮語の固有語によって名字も表されていたが、4世紀の三国時代以降、中国式の漢字1字を音読みするものに切り替えられていった。かつては名字を持たない人もいたが、今では国民全員がほぼすべて漢字音による名字を有している。儒教の教えが徹底している韓国では、近年まで同姓不婚を定めた民法があり、心中事件など種々の悲劇も起きていた。ただし、中国よりも特定の名字への集中度が高いためか、「朴」姓などいくつかの例外を除いて、本貫(本籍地に近いもの)が異なれば、同じ名字の人同士でも結婚ができたのだという(松本脩作・大岩川嫩編『第三世界の姓名 人と名前と文化』、アジア経済研究所企画、明石書店、1994年)。
韓国では、中国と同じく正式に結婚しても夫婦とも名字は変わらない。さすがに1997年に憲法裁判所でその同姓不婚に関する条文は憲法違反とされて失効したが、慣習はなかなか消えないそうだ。
戸籍では漢字表記が用いられており、ハングルに変えようとした裁判が起こされたものの、認められなかった。現在では、新聞などで、下の名前はハングル表記にしても、名字だけは漢字表記とするケースも見られるのだが、日常生活上では、名字もハングルによる表記がほとんどとなってきている。
韓国の名字ランキング
韓国は、電子政府が実現する前から、こうした名字の実態を数え上げて、公開を行ってきた。もともと朝鮮では古くから、網羅的なものかどうかは不明ながらも名字の数が記録されていた(朝鮮総督府編『朝鮮の姓』。島村修治『外国人の姓名』、帝国地方行政学会、1971年。島村修治『世界の姓名』、講談社、1977年、ほか)。2000年に韓国統計庁が発表した「人口住宅総調査 姓氏および本貫集計結果」によれば、韓国の名字ランキングは次のようになっている(韓国統計庁のサイトはリンク切れ。現在では、http://kajiritate-no-hangul.com/myouji.html ほかで、ランキングを見ることができる)。中国などと比べたとき、細かい数値まで明らかになっているのが特徴的である。
順位 | 名字 | 人口 |
---|---|---|
1 | 김(金/キム) | 992万5949人 |
2 | 이(李/イー) | 679万4637人 |
3 | 박(朴/パク) | 389万5121人 |
4 | 최(崔/チェ) | 216万9704人 |
5 | 정(鄭/チョン) | 201万117人 |
6 | 강(姜/カン) | 104万4386人 |
7 | 조(趙/チョ・チョー) | 98万4913人 |
8 | 윤(尹/ユン) | 94万8600人 |
9 | 장(張/チャン) | 91万9339人 |
10 | 임(林/イム) | 76万2767人 |
神話上の人物や新羅の王家の名字である「金」姓が圧倒的に多く、人口の21.6%を占めている。現在であれば、「金」姓は1000万人を超えていることであろう。大統領選に3人の「金」氏が出馬していたこともあったし、野球チームの先発メンバーが全員「金」選手だったという話も聞くくらいで、
「南山で石を投げれば金さんに当たる」(金という名字が非常に多いことを表す)
「ソウルで金さんを探す」(金さんという情報だけで探すのは困難であることから、不可能なことのたとえ)
といったことわざまであるほどだ。
4位までで、韓国の現在の総人口約5000万人のほぼ半数を占めることから分かるように、韓国では特定の名字への集中度が高い。ちなみに、10世紀から14世紀の高麗王朝においては、「柳」「崔」「金」「李」が「四姓」とされた。
第2位の「李」は、通常、韓国ではイー、地理的に中国に近い北朝鮮ではリーと発音される。ローマ字でのつづりは、LEE、LI などさまざまである。第10位の「林」も、イム・リムの発音には「李」と同様の違いがある。中国の li という発音は、北朝鮮で ri となり、韓国で i となった。この頭音規則は、アルタイ語的な性質によるものであるとされる。
これらの名字の由来は種々ある。新羅の建国説話に出てくる「朴」のように、当時の固有語に漢字を当てて名字としたと言い伝えられるものもあるが、日本とは異なり、韓国では国字や国訓は非常にまれで、中国風の音読みが大原則となっている。また、韓国では、1文字の音読み(ハングルでも1文字が対応)が大原則となっており、「司馬」「諸葛」「鮮于」などの復姓(2文字以上の姓)は、中国と同じく珍しい。
すでに廃絶したものなど歴史的には増減があるが、この2000年の統計時点では、名字の種類は286種となっている(本貫は4179種)。
外国からの移住者とその名字
外国から移住した人については、中国系の一族はもちろんのことだが、日本系の友鹿金氏、ベトナム系の花山李氏など、名字として数百年の歴史を持ちながらも、祖先のルーツが分かる一族がいる。
また、外国から移住した人が韓国に帰化する際に、中国のほか、ベトナムや日本の名字を、漢字を介してそのまま音読みさせた例もある。ベトナムからの帰化者には「興」(フン)という名字があり、日本から移り住んだ人では「岡田」姓が存在する(カンジョンと読む)。さらには日本製漢字の「辻」までもが、「十」や「汁」からの類推による音読みで名字として用いられている(シプと読むが、シプでは小便を意味する語との同音衝突となるため、これを避けてチュプとも読まれる)。
これらの歴史を有しすでに韓国に定着している名字は「土着姓」と見なされ、先の286種となっている。そのほかに近年韓国に帰化した人の名字は「帰化姓」として別個に扱われており、こちらは442種あった。それでも、名字の種類は多様ではなく1000種に及ばず、非常に少ないといえる。
韓国の名字の今
南部の済州島には、「高」「梁」「夫」の姓を持つ3人の神人が現れ、この島の人々の始祖となったという三姓神話がある。今でも「高」「梁」「夫」という名字が目立っており、韓国では名字の分布に地域による差が見受けられる。ただし、38度線以北に位置する北朝鮮も、韓国よりも「오(吳/オ)」がやや少なく、「손(孫/ソン)」がやや多いくらいで、あとはほぼ同様の順位であると言われている。中国の朝鮮族や日本の在日朝鮮・韓国人など、世界中の朝鮮・韓国系の人々(僑胞)にも、同様の傾向があるようだ。
近年、表記のハングル化が浸透したことによって、同音だった名字、たとえば「林・任」(イム)、「柳・劉・兪」(ユ。ただ、柳には、俳優の柳時元[リュ・シウォン]のようにユではなくリュとする一族もある)、「申・辛・慎」(シン)、「韓・漢」(ハン)などの間で混乱も生じている。
ベトナムの名字
漢字圏には、さらに様々な少数民族があるほか、独立国としてはベトナムがある。参考までに述べておくと、ベトナムでは阮(グエン)姓が圧倒的に多く、人口の40%くらいを占めると言われている。確かにグエン・ヴァン・チュー、グエン・カオ・キなど、歴史に名を残した人々にもグエン姓は数多く見られる(どちらもベトナム共和国時代の政治家)。これはもともとは中国系の名字で、名前を表すときには、古くは15世紀の政治家阮廌(グエン・チャイ)の例があるように、名字1字に名前は1字か2字で用いられる。阮福暎(映)(グエン・フク・アイン)の建てたベトナム最後の王朝・阮朝の影響で、次第に、阮朝の皇帝と同じ名字が増えていったとされる。ほかには、陳(チャン。中部以南ではトラン)、黎(レ)が多い(李は少ない)。ただし現在では、クオックグー(国語)と呼ばれるローマ字表記が正式なものとして通常使用されており、漢字表記の使用はごく一部の人々に限られている。
ここまで、ローマ字圏、漢字圏を取り上げ、世界の名字について概観してきた。日本の名字に入る前に、もう一つ重要な名前(ファーストネーム、下の名前)の、世界での有り様について、次回から見ていこう。
著者プロフィール
笹原 宏之(ささはら ひろゆき)
1965年東京都生まれ。 早稲田大学第一文学部で中国語学を専攻、同大学院では日本語学を専攻。博士(文学)。早稲田大学社会科学総合学術院教授。 経済産業省の「JIS漢字」や法務省法制審議会の「人名用漢字」の改正、文部科学省文化審議会の「常用漢字」の改定などにも携わる。 著書に『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂、金田一京助博士記念賞)、『訓読みのはなし』(角川ソフィア文庫)、『方言漢字』(角川選書)、『漢字に託した「日本の心」』(NHK出版新書)、『漢字の歴史 古くて新しい文字の話』(ちくまプリマー新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)など。
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