文学

探偵小説の風景を探して(下)―江戸川乱歩の東海―
小松史生子

 江戸川乱歩の世界における二大スター、明智小五郎と怪人二十面相が主な住まい(アジト)を東京に置いているせいか、乱歩作品の舞台は東京というイメージが強い。しかし、乱歩自身は1894年に三重県名張市で生まれ、3歳から18歳までの15年間を名古屋市内で過ごし、文壇デビューする以前は三重県鳥羽市で1年近くもサラリーマン生活を送った。つまり乱歩は、東京人ならぬ東海人だったともいえるのである。

 

パノラマ島はどこにある?

 乱歩の代表作の一つに、『パノラマ島奇譚』(1926〜27)がある。S湾に浮かぶ無人島に怪奇なユートピアを建設する男の物語だが、このS湾というのは志摩湾――すなわち現在の鳥羽湾だ。伊勢志摩鳥羽と称される三重県の南方地域は、乱歩が会社員時代を過ごした場所で、現在は鳥羽水族館がある場所に戦前は鈴木商店が経営する鳥羽造船所があって羽振りが良かった。当時の乱歩はかなりの高給取りで、青春を謳歌し、同僚と深夜に自動車で伊勢の宇治山田まで遊びに行き、その帰途に車ごと崖から転落という、笑えない事故を起こしたりもしている。どんな職業に就いても半年と持たない若い頃の乱歩であったが、鳥羽造船所には1年近く勤めていて、後に「一番面白かった」時代と回想している(『貼雑(はりまぜ)年譜』)。寒がりの乱歩には、暖かい鳥羽の風土が肌に合ったのかもしれない。

 鳥羽湾は坂手島を含め、御木本幸吉が養殖真珠の産業化に成功したミキモト真珠島(相島(おじま))など、大小さまざまな島が浮かぶ景勝地である。何を隠そう、三島由紀夫の名作『潮騒』(1954)の舞台となった神島もその一つだ。この絶景が、青春時代の乱歩にパノラマ島の着想を与えた。「たぐいを絶したカーニヴァルの狂気が、全島を覆い」「地上の楽園」となった鳥羽湾上の無人島には、「人魚の群、消えぬ花火、息づく群像、踊り狂う鋼鉄製の黒怪物、酩酊せぬ笑い上戸の猛獣ども」などが生息する無法のユートピアが築かれる――若き乱歩の夢想は波の上をはるかに見晴るかして果てしなく広がっていったのである。

 それはやがて、鳥羽よりもっとずっと南に下る和歌山県の沖合の島のディストピア幻想にまで繫がり、『孤島の鬼』(1929〜30)という、とんでもない怪作を生みだした。東海の南の海は、乱歩ワールドを解読する重要な(キー)なのである。

 ところで、乱歩が存外に〈鉄オタ〉であったことはあまり知られていない。乱歩がこれらの小説を書いていた1926年に、東京と鳥羽を結ぶ鉄道が開通した。『孤島の鬼』では、主人公達が東京からこの鉄道を乗り継いで鳥羽に向かう道中が描き込まれているのも楽しい。

 

実は乱歩は名古屋人だった?

 鉄道といえば、1889年に東海道線が開通し、1910年には東京からのアクセスが良くなった名古屋で共進会(産業振興を目的とした品評会)が開催された。当時16歳だった乱歩は、名古屋で開催された共進会で初めてパノラマ館という視覚トリックを用いたアトラクションを体験。生涯その魅力にとり憑かれてしまうのである。乱歩が小説に多く登場させた()()()()()()()(迷路のこと)やパノラマ館を体験したのは名古屋時代で、乱歩には「準名古屋人」(1951)というタイトルのエッセイもあるほどだ。浅草の見世物文化の影響を乱歩作品に見出す研究は多いが、乱歩の世界観のルーツは実は名古屋にあったのだ。

 尾張名古屋はその昔、六十万石を誇る徳川御三家筆頭のお膝元で、見世物文化が江戸時代に隆盛した街でもあった。戦後の物作りの街・名古屋の基盤は、江戸時代から続く高度な見世物細工の延長に形成されたのである。名古屋の浅草と言われる大須観音の境内には、乱歩の少年時代にもそうした見世物小屋が多く立ち並び、子供だった乱歩は祖母に手を引かれ、しばしば遊びに行った。

 短編『百面相役者』(1925)の舞台は、間違いなくこの大須観音で、墓から盗んだ死体の皮を被る不気味な百面相役者こそは、後の怪人二十面相のプロトタイプではないかとさえ思われる。この短編には、「新聞社の編集部に勤めているRという男」が登場するが、これは頭文字からしても、その経歴紹介からみても、まず乱歩自身を模した人物とみていい。名探偵・金田一耕助の生みの親で盟友でもあった横溝正史と異なり、あまり作中に作家自身をメタ的に登場させない乱歩だが、本作はその珍しい例のうちの一つで、地味だが、ノスタルジーに溢れた佳作だ。絢爛たる代表作群に埋もれがちな小粒の作品ではあるが、過去の宝石を発見するような気持ちで、ぜひ読んでもらいたい。

『国語教室』第124号より転載

プロフィール

小松史生子(こまつ しょうこ)
早稲田大学文学学術院文化構想学部教授。専攻は日本近代文学、推理小説、大衆小説。1998年、「アニミズムのエロス 江戸川乱歩論」で第5回創元推理評論賞佳作受賞。著書に『乱歩と名古屋―地方都市モダニズムと探偵小説原風景』(風媒社、2007年)、『東海の異才・奇人列伝』(風媒社、2013年)、『探偵小説のペルソナ―奇想と異常心理の言語態―』(双文社出版、2015年)、共編著に『〈怪異〉とミステリ 近代日本文学は何を「謎」としてきたか』(青弓社、2022年)、論文に「衛生とミステリ―〈浴室の死体〉というモチーフ」(『日本サブカルチャーと危機』北海道大学出版会、2025年)など。

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