いま、漱石を読む
第4回「開化」は文化である――「現代日本の開化」
石原千秋

「開化」から降りろとは言っていない
漱石は言う。「西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である」、「現代日本の開化は皮相上滑りの開化である」と。「現代日本の開化」のさわり、もっとも有名な一節だろう。
現代日本の開化がなぜ外発的で上滑りなのかと言えばと、漱石はお得意の意識の推移を比喩的に用いて説明する。意識はAからBへ、BからCへと順次推移していく。しかし、現代日本の開化は江戸時代の鎖国のために、Bが抜け落ちてAから突然Cに飛び移ったようなものである。それを取り戻すために、神経衰弱(当時のやはり病というか、はやり言葉だ)になるほど、生存競争において無理を強いられていると言うのだ。
そこで、私たちは「西洋への追随は止めて、日本古来の文化を大切にしよう」などとまるで国粋主義者になったかのようなことを思ってしまう。この後半はいいとして、前半は鎖国主義、いまはやりの言い方をするなら、自国第一主義でしかない。それは、漱石が言ったこういう一節を忘れてしまうからだ。「しかしそれが悪いからお止しなさいというのではない。事実やむをえない、涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならないというのです」と。漱石は「開化から降りよう」などという非現実的なことを言っているわけではないのだ。漱石は処方箋は思いつかないと言うが、いまなら「開化は開化で乗り越えるしかない」と言っていいと思う。
ここで、やはり教科書教材となっていた「私の個人主義」に触れておこう。
「私の個人主義」は、英文学研究とは何かがわからなくなった漱石が、「西洋人」に振り回されるのではなく、「自己本位」の立場を手にしたという物語(?)としてよく知られている。だから、高校の国語教科書にも収録されている。「主体的になりなさい」とか、「自分の頭で考えなさい」といった教訓として教えられてきたはずだ。少し前に話題になった茨木のり子の詩集『倚りかからず』(筑摩書房、1999・10)のタイトルともなった詩「倚りかからず」もおそらくこういう「教訓」の延長線上で読まれたに違いない。

▲『倚りかからず』
もはや できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや いかなる権威にも倚りかかりたくはない
この決然とした調子が、多くの現代人の心を捉えた。しかし、注意してほしい。このリフレインは、「倚りかからない」ではなく「倚りかかりたくない」なのだ。それが不可能だとわかっているから、「倚りかかりたくない」と詠んだのである。ここに、単純な保守主義とは違った、この詩人の知性がある。日本語で詩を書く以上、詩人は「日本語という思想」から逃れることはできない。言葉の芸術家である詩人は、それを知り抜いているからこそ「倚りかかりたくない」としか書けなかったのだ。
漱石の「自己本位」も同じだった。自分勝手な研究を始めたのではなく、「文芸とはまったく縁のない書物を読み始め」たのである。言うまでもなく、それらはイギリスで買ったもので、英語で書かれた「書物」だった。ただ、「文芸」に関する本ではなかっただけだ。イギリスにないものを探して、イギリスの学問に学んだのである。もし「自己本位」という言葉が使えるなら、この点に関してである。決して自分勝手でもなければ、自己中心的でもない。
やや大袈裟に言えば、それは時代の必然でもあった。漱石がイギリスに留学した時代は、まだ英文学科自体が世界の大学にほとんどなかった。なぜならイギリスの中産階級にとっては、漱石が学びたかったイギリスの現代文学はわざわざ大学で学ばなくても「わかる」からである。英文学を学ぶのは、イギリスを目標とする「遅れた地方や国」である。たとえば、スコットランドやインドだった。東京帝国大学に英文学科が設置されたのは、世界でもごく早い時期だったのである。それは富国強兵の一環だったが、英文学自体が学問として確立していなかった。だから、漱石には「自己本位」の道しかあり得なかったのだ。
こうした事情を知らないと、「現代日本の開化」をも読み誤ることになる。漱石は保守的なことは言っていない。たとえ「外発的」であっても、どれだけ辛くてもやらざるを得ないと言っているのである。それが、漱石の生きた時代の要請だった。いまおそらくすべての国や地域が、人類が自ら開発したテクノロジーによって「外発的」な「開化」を強いられている。人類が自己疎外を招いたと言うべきだろうか。だから、この事態は「内発的」というような立場で解決できるようなものではない。テクノロジーを制御するテクノロジーをテクノロジーそれ自身に組み込むことができるかどうかにかかっているはずだ。「内発的」という言葉を内向きに捉えたのでは、「現代日本の開化」の教訓は生きない。
「開化」の二つの形
漱石は開化(近代化と言っていいはずだ)には二種類あるという。
一つは「消極的のもの」で、時間だのエネルギーだのを節約するための開化である。極論すれば、近代は情報をも含めた「できるだけ多くのものを、できるだけ早く、できるだけ遠く」を目標にしてきた。そのために何が節約できるかを形にするのがテクノロジーで、便利さを求める近代化の根本を支えている。その極点がナチスのガス室であり、水爆である。できるだけ多くの人をできるだけ素早く殺す……。戦争が科学技術をもっとも発展させたのは、まぎれもない事実である。だから、古代から大帝国を形成して比較的平和だった中国は「遅れ」て、多くの諸侯の間で争いが絶えなかったヨーロッパが「進んだ」のだ。鎖国時代の日本も、「平和」だったから「遅れ」たのである。
もう一つは「積極的のもの」で、たとえば学問を含めた「道楽」のようなものだと言う。これは「道楽」だが、この二つの開化は複雑に絡み合っているとも言っている。それはそうで、「道楽」から来る科学的思索が近代科学を発展させ、哲学的思索が人を管理する理論を生み出すのだから。フーコーが見ぬいたように、「知は力」なのである。当代最高の教育を受けた漱石文学の主人公たちが「知」を浪費しているのは、それは「知」が「力」になるのを避けるためではなかったか。漱石はそれ以外に答えを出せなかったのではなかったか。
私たちは、どうすれば「開化」を飼い慣らせるのだろうか。
科学と文化
かつてコンニャクゼリーが開発されて、子供が喜んで食べた。ところが、これをのどに詰まらせて死亡する事故が起きた。コンニャクゼリーの事故は毎年二件あるかないでレアケースだったのだが、大きな問題となった。お餅の死亡事故は毎年百件以上もある。コンニャクゼリーの比ではない。しかし、毎年これだけの死亡事故が起きていながら、お餅を改良しようという議論は起きない。理由は、お餅は文化だがコンニャクゼリーは文化になっていなかったからだろう。自動車事故では毎年四千人以上の死者がでる。これは経済効果もさることながら、便利という名の文化になっているから、車を廃止しようという議論は大きくならないのだろう。文化ほど平気で人を殺すものはない。かつて自民党は、臓器移植促進のためにいわゆる「脳死法案」を国会に提出した。しかし採決に当たっては、個人の死生観に関わる問題だとして、党議拘束をかけなかった。実際、自民党からも反対票がでた。政治が医学の問題を文化にゆだねた瞬間だった。
もちろん、文化は不変ではない。テクノロジーによって変質しながら生き延びることもある。写真はデジタル技術によってフィルムを使わなくなっても写真である。時間厳守の文化を広めたのは、鉄道というテクノロジーである。文化をあまりに固定的にしてしまうと、民族問題を激烈に引き起こす。人々の共感が得られる限り、時代につれて文化はゆるやかに変化してもいい。
世界の形を決めているのは文化である。テクノロジーは、人の望むことなら何でもかなえてくれる。あるロボット研究者が言っていた。「もうすぐ、人のできることならすべてロボットができる時代が来る。では人が生まれて、やりたいことをすべてロボットに任せて、ベビーベッドに寝たまま寿命を全うするのが人間らしい生き方と言えるのか」と。これが「消極的開化」の極地である。そこには、もう「人間」はいない。彼にして悩みは深いようだった。
テクノロジーは自動作用があるかのように進歩する。それを止めることができるのは文化しかない。どこまで進歩させるかを決めるのも文化しかない。国語教育の中での文学の縮小は止まりそうもないが、それは私たちが世界の形を決めることができなくなることを意味する。私はただこのゆえに文学の縮小に反対する。ただこのゆえに文学に期待する。
『国語教室』第106号(2017年11月)より
著者プロフィール
石原 千秋 (いしはら ちあき)
1955年生まれ。早稲田大学教育・総合科学学術院教授。専攻は日本近代文学。夏目漱石から村上春樹までテクスト分析による斬新な読解を提供しつつ、国語教育への問題提起も果敢に行っている。著書に『漱石入門』(河出文庫)、『読者はどこにいるのか 書物の中の私たち』(河出ブックス)、『国語教科書の中の「日本」』(ちくま新書)など多数。
一覧に戻る