文学

文学エッセイ
高校の国語と文学の可能性
蜂飼耳

 高校の国語が見直され、文学作品の枠が狭まるらしいというニュースには少なからず衝撃を受けた。とはいえ、その内容を見ると、時代の移り変わりによって変化することは当然だという気持ちにもなった。
 確かに「論理国語」も大事だ。説明文の読解や論理的な思考の価値が、文学より低いわけではない。むしろ、社会人として生きる上ではそうした方向性こそが必要だろう。同時に「言語文化」「文学国語」といった新科目では、文学に触れる機会が確保される。しかも、文学作品を読むだけでなく、批評したり、脚本の形式に書き換えるなど、従来に比べて多角的な扱われ方となる。
 科目としての国語における文学はいったい、どこへ行こうとしているのか? わからない。ともかく、いまが過渡期であること、大きな転換点を迎えていること、そしておそらく、多様な接し方や表し方の中にある文学といった視点が今後さらに拓かれるだろうという予感だけが、いまはある。
 国語を考えるときには、小学校、中学校の国語との繫がりの中でイメージする必要がある。高校生ともなれば、個人差があるとしても、小学校、中学校での国語を通して培った経験が豊かさと可能性を秘めた種子としてたくわえられているはずだ。それを、どうするか。そこと、どう付き合うか。高校生という時期はそういう時期だと思う。高校の国語の理想は、将来的に文学を選ぶことのない生徒にも、文学を選ぶ生徒にも、いずれにとっても、なにかしら胸に響く体験を生じさせることだろう。
 どうしたら、そのような運びになるだろうか?「教え方」という言葉がある。だが、もっとも大事なことはたぶん、教える側がどのように作品(教材)を味わっているか、その「味わい方」なのではないか。テストや入試を考えると、設問の解き方のテクニックを伝えたり身につけたりすることは大事だけれど、そうだとしても、それでも文学は文学なのだ。味わうこと、心を動かされること、なんとなく面白いと感じることなど、情動の面がどうしても大切になる。面白がることができなくてもいいと思う。その場合は、面白いと思わない、という感想を通過すること自体に意味があるのだ。
 教科書に繰り返し掲載されてきた作品に、たとえば夏目漱石の「こころ」がある。教科書には一部分しか載っていない。だが、そのためにかえって全体としてはどんな作品なのかと気になり、自分で読む生徒は昔もいまも多いだろう。Kの死がよくわからない。さまざまな見方ができる。それぞれの見方に、それぞれの根拠がある。不可解な点が残る。できれば作者に質問したいくらい。だが作者だから答えられるとも限らない。そんなふうに、ああでもない、こうでもない、と一人で考えたり、他の人たちと議論したりすることが面白い。
 もやもやしたところを残す作品は、じつのところ、もやもや自体に意味がある。それは払拭してはならない点だ。というのは、大人になって生きていく社会は、もやもやだらけなのだから。なんなのだろう? と思いながら読んでみること、意味らしい意味を引き出せないことにすら、意味がある。教科書で「こころ」を読んだことを忘れるとしても、同じクラスで同世代の人たちとそれに接する時間を持つことは、それだけで意味がある。
 この文章を書きながら、いま、高校のときの国語の先生の顔を思い出している。30代の男性だった。大学と大学院で仏教説話を専攻した先生だった。先生は国語を教えることを、どれくらい楽しんでいただろうか? 教材によっては、先生にとってもあまり面白くないときがあったかもしれない。中原中也の詩「一つのメルヘン」なんて、いったいどこを漂っている言葉なのか、つかみどころがない感じで、教室では先生も生徒も困っていたのではなかったかと思い返す。けれど、そういう場で詩を音読してみること、味わうことは、それだけでまぎれもなく一つの体験だった。一つの体験とは、つまり、他とは違う体験ということにほかならない。
 人の心は複雑なものだ。AIの研究と活用がさらに進んでも、人の心の複雑さに完全に追いつくことはできないだろう。その複雑さが具体的に花開く場が文学の場であり、人はそれを味わい、楽しむことができる。それは、もやもやも、矛盾も、投げ入れることのできる場だ。短絡的な思考に陥らない道を伝える場にもできるだろう。そんな体験の可能性を大いに秘めた場を、高校の科目から追い出すことはしないほうがよいと思う。知らず知らずのうちに、それは生きる手段となるからだ。

『国語教室』第112号より転載

 

著者プロフィール

蜂飼 耳(はちかい みみ)
詩人・作家。詩集に『現代詩文庫・蜂飼耳詩集』『顔をあらう水』(鮎川信夫賞)、文集に『空席日誌』『おいしそうな草』、書評集に『朝毎読』などがある。

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