国語教育

エッセイ
作り手の覚悟
柳 広司

 ――小説家は読者のなれの果てである。

 あるいは、

 ――すべての小説は過去の作品の続編である。

 という言葉があって、誰が言い出したのか知らないが、最初に聞いた時は「うまいことを言うものだ」と感心した。

 小説家などというものが最初からあるわけではない。既存の小説を面白い、素敵だ、凄い、と思って夢中で片っ端から読んでいる内に、ある日、コップから水が(あふ)れるように自分で物語を紡ぎはじめる。多くの小説家はそんなふうに出来ている。

 「すべての小説は過去の作品の続編である」とは、そうした意味だ。新しい作品は、すべて過去の作品を栄養にして生まれてくる。

 その中で意図的に先行作品に言及したものを「翻案作品」と呼ぶそうだ。が、たとえば日本の和歌には「本歌取り」の伝統がある。過去の歌や物語、漢詩文の一部を取り込むことで、作品の世界観を豊かなものにする技法だ。小説や絵画、詩や映画等の場合も同じことがいえる。人口に(かい)(しゃ)した先行作品の一部(題名、登場人物、文体、物語構造等)を取り込み、あるいは示唆することで、受け手の想像力を広げ、より豊かな作品世界観を提供する――それを何と呼ぶかは評論家の仕事である。

 作り手にとってはむしろ、どの作品の、どの部分を、どういう形で取り上げるかが、己の美意識、世界観を問われる重要な問題だ。制約は意外に多い。まず、作り手が何度も読んで、血肉となった作品であること。世に広く知られた先行作品でなければ「本歌取り」は難しい。先行作品の世界観に取り込まれず、新たな地平をわずかなりとも提示する必要がある。

 その上で、面白いと思ってもらえる作品に仕上げられるかどうかは作り手の腕と運次第だ。「翻案作品」を得意とした芥川龍之介は、この辺りの事情を「三分の人事、七分の天」と表現している(芥川にして、七分の天!)。

 その芥川に「桃太郎」という作品がある。

 (きび)(だん)()で雇用した部下を引き連れて「鬼が島」を襲い、宝物を奪い取ってくる桃太郎の活躍を、日本の神話や他の()(とぎ)(ばなし)も交えて、批判的に読み替えた作品だ。七分の天という作の出来は実際に読んで確かめてもらうしかないが、問題は芥川にこの作品を書かせた動機である。

 当時の日本は帝国主義的傾向を露骨に示しながら台湾、韓国を併合し、アジアへの植民地支配を進めていた。国民の多くがこれを熱狂的に支持する中、芥川は時代の空気に水を差す作品として「桃太郎」を「翻案」した。

 社会情勢が異なれば、芥川は別の「桃太郎」を書いただろう。もしくは、そもそも書かなかったかもしれない。

 作品に対する評価や価値は不変ではない。

 名作と言われた作品が時代の流れの中で輝きを失うこともあれば、発表当時は顧みられなかった作品や作家がその後持ち上げられることもある。世間の常識、例えば漢文や古典の素養が失われることで意味がわかりづらくなる作品がある一方、新たなジャンルが現れることで新しい読み方も生まれてくる。SF小説の発見は「竹取物語」や「浦島太郎」に「月の人の物語」「宇宙旅行の話」という読み方を可能にさせた。ミステリーの流行は過去の名作に潜む謎を追求する多くの物語を生み出し、私事で恐縮だが、高校生の頃、「漱石の『坊っちゃん』は日本語で書かれた最初のハードボイルド小説だ」という感想文を提出して、国語の教師に呆れられた記憶がある。

 作り手が何を取りあげるか、どう書く(描く)かは、読者や鑑賞者が想像する以上に、時代の空気に左右される。だからこそ、作り手の態度も時代の中で問われる。

 1940年、世の中が戦時体制に一気に傾き、多くの歌人が時代の空気に便乗する中、土屋文明は「歌よみが(ほう)(かん)(ごと)く成る場合場合を思ひながらしばらく休む」と詠んで、自らを含めた作り手の態度を問うた。

 翻って2025年現在、私たちは目の前で起きている戦争や虐殺や弾圧を止めることができないでいる。芥川や土屋文明が生きた時代、日本では皇国史観と呼ばれる自民族優先主義思想を翻案した小説、詩歌、絵画、音楽、その他様々な作品が作られ、世の中でもてはやされた。

 その結果、何がもたらされたかを、私たちはすでに知っている。

 どんな物語を、どんなふうに書いていくのか。あるいは、何を書くべきでないのか。

 作り手の自覚と覚悟が問われる時代である。

『国語教室』第124号より転載

 

著者プロフィール

柳 広司(やなぎ こうじ)

小説家。歴史や文学作品をミステリーと融合させた作品を数多く発表している。著書に『贋作「坊っちゃん」殺人事件』『ジョーカー・ゲーム』『はじまりの島』『虎と月』『南風に乗る』など。

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