青山あり! 中国祠墓紀行
第二回 屈原墓(湖南省汨羅市)
平井 徹
- 2023.07.12

屈原(くつげん)(前三四三?~前二七八?)。戦国時代末期、楚(そ)国の高官、詩人。名は平、原は字(あざな)。中国南方文学の祖で、浪漫的な詩集である『楚辞(そじ)』中最大の作家。中国文学史の劈頭(へきとう)を飾る固有名詞(人名)で、「憂国詩人」と称される。
屈原は放浪の末、汨羅(べきら)の淵に身を投じて生涯を閉じた。その舞台となった汨羅市は岳陽市の下部に属する県級市で、汨水と羅水の両川が合流して汨羅江となることから名づけられた。「汨」字は、中国でも発音を知る人はそう多くない。余談だが、歌人の塚本邦雄は、辞書を購入する際に「汨羅」の項を引き、誤記がないかを確かめる基準にしたという。御子息で歴史小説家の塚本靑史氏からうかがった話である。
私は二〇〇〇、二〇〇三、二〇一五年の三回現地を訪れているが、留学中に訪れた初回が、彼の命日とされる旧暦五月五日の直前であったことから、やはり最も印象深い。
湖南省の省都長沙(ちょうさ)市から長距離バスに乗り、北へ八十キロほどで汨羅市に到着(実際は、岳陽市から南下するほうが距離的に近く、高速道路の便も良い)。田舎のこととて地図すら入手できず、文化局に電話を入れて車の手配を頼んだら、翌朝黒塗りの高級車が迎えに来てびっくりした。地元民の生活用の粗末なフェリーで汨羅江を渡った際には、川岸を裸足でジャブジャブ歩くはめとなり、「滄浪(そうろう)の水(みず)濁(にご)らば、以(もつ)て吾(わ)が足(あし)を濯(あら)ふべし」(屈原「漁父辞」)を地で体験した。土手には緑を覆いつくすほどの白い蝶が群れていた。

▲屈原を祀る屈子祠(2015年撮影)
屈原を祀る「屈子祠」は市北西部の玉笥山にある。漢代の創建と伝わるが、現存するのは清の乾隆年間の重修で、白亜の壁面が美しい。内部には屈原の位牌を安置するほか、隣接地には、濯纓橋、独醒亭、屈原碑林などを附設する。
屈原墓は市の北東部、玉笥山から五キロほどの列女嶺にある。屈原生前の官位を記した「故楚三閭大夫之墓(こそさんりょたいふのはか)」は清末同治六年(一九〇二)の石碑。附近にはほぼ同じ大きさの墳丘が十二あり、一括して「汨羅山戦国墓」と称されており、屈原の墓だというのは、あくまで伝承に過ぎないようだ。墓の上からは一面に広がる茶畑が遠望できたが、三度目に訪れた際には整地し囲われ、登れなくなっていた。
『国語教室』第113号(2020年4月)より
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