国語教育

エッセイ
もっとください
永井玲衣

 わたしがあなたと同じ年くらいのとき、世界がこわくて、こわくてたまらなくて、でもどうしていいのかわからず、苛立ち怯えながら毎日を過ごしていました。本ばかり読んでいましたが、それは本が好きだからというよりは、助けを求める相手が、本しかなかったからと言うべきかもしれません。

 ただ、それでは目の前の人間と会話することがありません。わたしの本へのひきこもりはエスカレートし、現実ではなく、本のほうを「ほんとう」にしようとしました。そのくらいわたしは困っていたのかもしれません。本の世界に入り込んで楽しんでいるというよりは、本を読んでいるときの自分が「ほんとう」の自分で、それ以外はすべて「かりそめ」の自分だと思うようになりました。あなたも、もしかしたら似たような状況にあるでしょうか。

 だからなのか、誰かと話したり、一緒に何かを決めたりすることがわたしは大嫌いでした。一番きらいな授業は「数学」や「古典」を差し置いて、「ホームルーム」でした。「意見のあるひとはいますか」と学級委員に呼びかけられても、自分に話しかけられているとさえ思いませんでした。いつも発言してくれる子が話してくれるし、自分はその役割ではないからです。意見に対しても、賛成でも反対でもありませんでした。とにかく何もかもどうでもよかったのです。

 3学期になって、選択科目がはじまりました。金曜の5、6時間目は好きな授業を選んでよく、わたしは「芥川龍之介を読む」という授業を迷わず受けようと思いました。教室に入ると、二人の生徒が座っていました。わたしを入れて、たった三人の授業でした。ひとりは日本史をこよなく愛している子で、もうひとりは美大を一心不乱に目指している子でした。ふたりとも落ち着いた雰囲気のある、すてきなひとたちでした。示し合わせたわけでもなく、わたしたちは集まっていました。

 担当は、すらりと背の高いベテランの国語の先生でした。小さな声でおだやかに話すひとで、ふしぎな空気をまとっています。先生は、芥川龍之介の短編を配り、授業が始まりました。「どう考えますか?」と先生はよくわたしたちにたずねました。目の前のひとに考えを尋ねられたのは、ほとんど初めてでした。本の中に生きているだけで、自分が何かを考えたことがなかったのです。わたしはうろたえ、適当なことを言いました。先生はそれを咎めも褒めもしませんでした。

「どう考えますか?」という問いかけは、ふしぎとわたしの中に残りました。それによって、頭が動き始めた感覚があったのです。止まっていたものが、きかれることによって動くのかと、驚きました。動きはじめると、考えは変わっていきます。育っていくと言ってもいいかもしれません。植物には水を与えないと育たないように、わたしたちの考えも、先生に丁寧にきかれ、受け止められるということがあるからこそ、育っていきました。

 先生はよく「もっとください」と言いました。まだやわらかく、自分でも納得できていないような考えを話すと、そのように言うのです。それは「もっとあなたの考えをきかせて」というメッセージでした。馬鹿にするのでもなく、怒るのでもなく、もっとあなたの考えがあるはずだから、それをききたいと、真剣にうったえてくれました。そうすると、わたしの中に芽吹いていた考えは、うれしそうにぐんぐんと育っていきました。先生はわたしたちに作文を書かせてくれ、ちいさな冊子にしてくれました。わたしの言葉が本になったのです。夢のようだと思いました。

 わたしはいま、ひとびとと集い、ききあい考えあう場をつくっています。過去の自分からしたら信じられないことです。考えは、きかれる場がないと育ちません。だから、まずはあなたの話をききたいという場をつくらないといけないなと思います。そして、きかれるだけでなく、自分もまた誰かの考えをききます。そうするとまた考えが育ち、見たことのないうつくしい花が咲きます。本もいいけれど、誰かと考えるのもいいものです。だから、あなたの考えもきかせてください。わたしはここで待っています。

『国語教室』第123号より転載

「変わることをおそれない」

「どうか、変わることをおそれないでください。」哲学対話の場での先生の言葉から、「変わる」ことのむずかしさと悦ばしさを考える哲学エッセイ。

(『現代の国語 改訂版』)

 

著者プロフィール

永井玲衣(ながい れい)

1991(平成3)年、東京都生まれ。哲学者・作家。人びととききあい考えあう場を各地でひらいている。主な著書に『水中の哲学者たち』『世界の適切な保存』など。

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