社会・文化

特別寄稿
黄表紙の魅力──蔦屋重三郎版の作品を中心に
佐藤至子

蔦屋重三郎と黄表紙

 (つた)()(じゅう)(ざぶ)(ろう)(以下、蔦重)は近世後期の江戸で活動した版元である。寛延3年(1750)に新吉原に生まれ、安永4年(1775)から遊廓の情報誌である吉原(さい)(けん)の出版を始めた。黄表紙、洒落(しゃれ)本(遊廓での遊びを題材とする本)、狂歌絵本、往来物など多様な出版物を手がけ、喜多川歌麿の美人画や東洲斎写楽の役者絵を売り出したことでも知られている。

 蔦重が生きた18世紀後半の江戸は、必ずしも平穏ではなかった。天明3年(1783)には浅間山が噴火して江戸にも灰が降り、その後、米価の高騰や「打ちこわし」なども起きた。安永期から老中として権勢を振るった田沼(おき)(つぐ)は天明6年に失脚し、翌年に老中となった松平定信が幕政改革(寛政の改革)を推し進めていった。

 黄表紙は、18世紀末期から19世紀初頭の約30年間に流行した絵入りの読み物である。荒唐無稽で、しゃれていて、時に抱腹絶倒、時にほのぼのとしたおかしみを感じさせる。江戸の人々の感性を知るには最適のジャンルである。以下では、蔦重版の黄表紙からいくつかの作品を取り上げて、その魅力の一端にふれてみたい。

 

現実を揶揄する

 黄表紙は、よく知られた物語や歴史上の出来事、最近の事件や流行現象など、さまざまなものに取材して作られている。寛政の改革下の世相も恰好の題材となった。(ほう)(せい)(どう)()(さん)()の『(ぶん)()()(どう)(まん)(ごく)(どおし)』(天明8年刊、蔦重版)を見てみよう。

 舞台は鎌倉時代。源頼朝は大名らの中に学問を得意とする者と武芸を得意とする者がどれほどいるか調べるよう、畠山重忠に命じる。重忠は大名らを富士山に導き、(ひと)(あな)(洞窟)を通過させ、学問に心を傾ける者、武芸に自信のある者、どちらも得意ではない者(「ぬらくら武士」)に仕分ける。

図1 『文武二道万石通』
畠山重忠(左)と源頼朝(右)
国立国会図書館デジタルコレクション

 挿絵(図1)を見ると、重忠の(かみしも)に松平定信の家紋である梅鉢紋が描かれており、モデルは定信であることがわかる。とすれば、頼朝のモデルは天明7年に将軍となった徳川(いえ)(なり)である。享保7年(1722)の町触に徳川将軍家のことを書物に書いてはならないという条文があり、幕府にかかわる話題を作中であからさまに書くことはできなかった。江戸時代を鎌倉時代に置き換え、頼朝と重忠に仮託して徳川将軍と老中とを暗示したのは、こうした規制への対応だったと考えられる。

 重忠が文武に秀でた者を見分けようとする設定は、天明7年に定信が学問・武芸の出精者調査をしたことをふまえていると思われる。田沼意次の失脚を連想させる挿絵もある。人穴からの出口で数名の武士が転んでいる様子が描かれているのだが、その中の一人は七曜紋の模様の衣を着ている。七曜紋は田沼の家紋であった。

 さて、仕分けの結果、学問や武芸を得意とする者よりも「ぬらくら武士」の数が多いことがわかった。重忠はかれらを箱根の温泉に行かせ、好きなように遊ばせる。武士たちは()(まり)、生け花、茶の湯、囲碁、将棋、めくりかるた、乱舞、()(あみ)などに興じる。これは遊芸にうつつをぬかす武士が現実にいたことを揶揄したものだろう。

 登場人物の会話も意味深長である。例えば、めくりかるたをしている人物は田沼を連想させる七曜紋のついた羽織を着ているが、そのせりふに「系図はさる処からもらいの筋さの」とある。田沼意次の息子の(おき)(とも)は天明4年に佐野(まさ)(こと)に切りつけられ、その傷がもとで死去したが、この刃傷事件は意知が佐野家の系図を借りたまま返さなかったことが原因であるという説があった。このせりふは、それをほのめかしているように読める。

 畠山重忠は武士たちがどのような遊びをしているかを(かん)(じゃ)に記録させ、茶の湯や生け花などは学問、囲碁や将棋、乱舞などは武芸というように、個々の遊芸を学問と武芸に無理やりこじつけてゆく。これらも、学問・武芸の出精者調査を戯画化したものと見てよいだろう。

 

何人もの自分がいる

 『文武二道万石通』の作者、朋誠堂喜三二は秋田藩の江戸詰めの藩士で、本名は平沢(つね)(まさ)という。遊びに夢中になる武士を揶揄するまなざしは、武士ならではのものと言えるかもしれない。

 喜三二は安永期から黄表紙などの戯作を書いていた。蔦重版の吉原細見に序文を寄せる時は「朋誠」や「朋誠堂主人」と記している。狂歌を作る時には「()(がらの)(おか)(もち)」と名乗った。一人の作者が複数の筆名を持つことは、近世には特に珍しいことではない。ただし喜三二の場合、それらを自分の分身として黄表紙『()(さん)(じん)(いえの)(ばけもの)』(天明7年刊、蔦重版)に登場させている点が注目される。

 『亀山人家妖』は蔦重が喜三二のもとへ年始の挨拶に訪れ、翌年に出版する新作の原稿を依頼する場面から始まる。喜三二は化け物を題材にしようと考え、「心で心と相談しながら」居眠りをする。その夢の中で喜三二と「心の友」の亀山人・手柄岡持・ほうせい堂が集まり、化け物について相談する。

 「膝とも談合」(困った時は自分の膝でも相談相手になる)という諺があるが、この作品では複数の分身が集まって話し合う夢を見るという形で作者の内面が具象化されている。創作の場や媒体によって異なる自分がいるという考え方は、平野啓一郎のいう「分人主義」に通じるところがあるように思われる。

 

人魚が人間になる話

  (きょく)(てい)()(きん)が『()()()()()()』に記すところによれば、『文武二道万石通』は大流行したが、禁忌に触れて絶版を命じられたという。寛政の改革下の現実を揶揄したことが問題視されたと推察される。以後、喜三二は黄表紙の執筆から遠ざかった。

 同じく寛政期の初めに絶版処分となったと伝えられる黄表紙に『(こく)(びゃく)(みず)(かがみ)』(寛政元年〈1789〉刊、版元未詳)がある。田沼意次・意知らをめぐる出来事を滑稽に描いた作品で、佐野政言の刃傷事件をふまえた場面もある。絶版となっただけでなく、作者の(いし)()(きん)(こう)と挿絵を描いた北尾(まさ)(のぶ)こと(さん)(とう)(きょう)(でん)も処罰されたという。

 京伝は安永期から絵師として蔦重の出版物にかかわり、天明期には洒落本や黄表紙の作者としても活躍していた。黄表紙『()()(うまれ)(うわ)(きの)(かば)(やき)』(天明5年刊、蔦重版)は女性にもてると噂されることを望んで愚行を繰り返す金持ちの男を描いた作品で、京伝の代表作の一つである。

図2 『箱入娘面屋人魚』
蔦重の図像と「まじめなる口上」
東京都立中央図書館所蔵

 寛政2年、蔦重は京伝に新作の原稿を依頼したが、京伝は前年の処罰を恥じ、戯作をやめたいと思っていた。しかし蔦重が是非にと頼んだので、京伝は執筆を承知した。そうして生まれた新作の一つが『(はこ)(いり)(むすめ)(めん)()(にん)(ぎょう)』(寛政3年刊)である。冒頭には読者に挨拶する蔦重の図像(図2)が描かれており、「まじめなる口上」と題する挨拶文の中で京伝が執筆に至った経緯が説明されている。

 『箱入娘面屋人魚』は()(とぎ)(ぞう)()などで知られた浦島太郎の物語の後日談である。浦島太郎は竜宮で乙姫と暮らしていたが、利根川屋のお()のという(こい)と恋仲になる。二人の間に生まれた子供は人魚として成長し、陸に上がって平次という男の妻になる。貧しい夫を助けるために人魚は遊廓に身を売るが、じきに家に戻される。その後、平次は人魚の伝説を活かした商いをして大金を稼ぐ。最終的には人魚に手足がついて本物の人間になり、平次と仲良く暮らすという筋立てである。

 異類婚姻譚には人間と異類の離別で終わるものも少なくない。浦島太郎の物語がまさにそうだが、『箱入娘面屋人魚』はその枠組みから脱している。この物語は人魚という異類が人間の世界に入り、人間の価値観に合わせてふるまい、自らも人間となって生きてゆく話である。結末も黄表紙らしいハッピーエンドになっている。ただし、夫のために妻が身を売るという考え方は現代の視点からは受け入れがたい。

 

『方丈記』の引用

 『箱入娘面屋人魚』の本文の始まりには、『方丈記』の一節が引用されている。

鴨長明が方丈の記に、行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず、淀みに浮かぶうたかたは、かつ消へ、かつ結びて久しくとゞまる事なしとは、昔建暦年中のせりふなれど、寛政の今に至りても五分ほども違ひなく、よく当てなさつた。噓は中洲新地も再び元の流れとなる事、淵は瀬となり、瀬は淵となり

 安永元年に隅田川の一部を埋め立てて作られた中洲新地は、寛政元年に取り払われて元の隅田川に戻った。この文章はそれを述べたものだが、そうした当世の世俗的な話題と『方丈記』の文章とが「川」をキーワードに結び付けられているところにおもしろさがある。近世における古典の浸透を背景にした、こうした引用の妙味も黄表紙の魅力の一つである。

 

*参考文献
『黄表紙 洒落本集』日本古典文学大系、岩波書店、1958年
『江戸の戯作絵本』1・3 ちくま学芸文庫、2024年
『山東京伝全集 第二巻』ぺりかん社、1993年
『近世物之本江戸作者部類』岩波文庫、2014年

*出典
タイトル画像:『画本東都遊』より「繪草紙店」(東京都立中央図書館所蔵)

『国語教室』第124号より転載

プロフィール

佐藤至子(さとう ゆきこ)
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授。主な研究対象は近世後期から明治前期の戯作と芸能。長編合巻の翻刻と書誌学的研究、戯作者の山東京伝に関する研究等のほか、戯作に対する出版統制の実態解明や、幕末・明治期の落語家三遊亭円朝の作品研究にも力を注ぐ。主な著書に、『江戸の絵入小説―合巻の世界』(ぺりかん社、2001)、『山東京伝―滑稽洒落第一の作者』(ミネルヴァ書房、2009)、『江戸の出版統制―弾圧に翻弄された戯作者たち』(吉川弘文館、2017)、『幕末の合巻―江戸文学の終焉と転生』(岩波書店、2024)、『蔦屋重三郎の時代―狂歌・戯作・浮世絵の12人』(角川ソフィア文庫、2024)など。

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