エッセイ
読み続け、書き続ける
村井理子

幼い頃から病気がちで、長い入院生活を経験した。小学校1年生のほとんどを病院内で過ごしたため、入院生活を終えて学校に戻ったころには勉強についていけなくなっていた。医者に止められていたため、体育の授業も見学ばかり。周囲の子どもたちの責めるような視線を感じ、自分だけズルをしているのではないかと悩んだ。それが原因で内気な子になってしまった。学校に行くことまで苦手になり、勉強もますます遅れがちになっていった。でも、一教科だけ、なんの苦労もせずに他の生徒と一緒になって学ぶことができた教科があった。国語だ。寝ている以外、何もすることがない入院生活では、本だけが私に与えられた娯楽だった。だから、親に与えられるがまま読み続け、いつの間にか文章だけはしっかりと読める子になっていたというわけだ。
国語以外は散々な成績だったが、母の突然のひらめきで中学受験をすることになった。塾に通って必死に勉強して、どうにか合格を勝ち取り、中高一貫の女子校に入学した。しかし今度は他の生徒たちの雰囲気に圧倒された。周りを見れば、大人しく、礼儀正しく、かわいい子ばかりだった。私は港町にあるジャズ喫茶の娘で、タバコとアルコールと音楽と文学に酔いしれる大人に囲まれて育っていた。「なんだか違うぞ」と気づいた時にはすでに遅かった。自分が灰色の世界からバラ色の世界に迷い込んでしまった場違いな人間という気持ちがして、恥ずかしくて上を向くことができなくなった。授業中も、廊下を歩くときも、お弁当の時間も、私はじっと下を向いて顔を上げなかった。「私はこの子たちとは違う世界の人間だ」と苦しくなっても、じっと下を向いていれば、私だけの世界に入ることができた。でも、下を向いているだけではあまりにも暇で、ある日ふと、その視線の先に、文庫本を置いてみた。妙にしっくりときた。文章を読んでいれば私の世界はよりいっそう広がるし、下を向いている理由までできた。他の生徒から見れば私は読書に耽る女子で、そんな女子は放置しても大丈夫。それが私にはうってつけで、図書館に通い詰めては次々と本を借り、教室に戻っては読んだ。登下校の電車内でも読んだ。実家のジャズ喫茶は家の最寄り駅前にあったので、駅に着くと真っ直ぐ母のいる店に行き、カウンターに陣取ってケーキを食べながら、客が置いていったマンガ、雑誌、新聞、文芸誌を読み続けた。セーラー服姿で何時間も、子どもが読んではいけないような雑誌まで読んでいたが、誰も私を叱りつけたりはしなかった。そんなわけで、中学、高校を通して、文字が印刷されているものであればとりあえず読みまくり、友だちは少ないが、国語の成績だけは大変良い子が出来上がった。
高校3年の冬、大学受験の直前になって父が死んだ。その時担任だったのは、学校で最も恐れられ、嫌われていた国語教師のS先生だった。彼はとにかく厳格で、笑顔など一切見せない人だった。ふわふわした雰囲気が漂う女子校には珍しいタイプの教師で、相手がどれだけ大人しく、か弱い女子生徒であっても手加減することなく怒鳴っていた。当然私も、何度も怒鳴られていた。読んでいた文庫本をいきなり奪われ、著者名を確認され「フン」と言われたこともある。そんなS先生が、父親を失った私に「このまま読み続けろ」と、突然言った。「お前はきっと、この世界で生きていける」とも言った。授業中に、私が書いた文章を褒め称えてくれた。「作文で100点を取ったのは、学年でたったひとりだ」と私を名指しして、大声で言ってくれた。生徒を褒めることなど一切ない先生だったので、教室がざわついたことを覚えている。その時の大きな喜びは、30年以上経過した今も、消えることなく私のなかにしっかりと残っている。
そのS先生の言葉を支えにするようにして私は大学に進学し、そして、先生が言った通り読み続けた。途中、人生に紆余曲折あって、休学したり、留年したり、いろいろあった。長い時間をかけて大学を卒業できる見込みにはなったものの、就職活動なんてできるわけがなく、そのまま、いわゆるフリーターのような立場となった。しかしこの時期を境に、私は書きはじめた。誰に宛てるでもなくインターネット上に書き続け、一日も休まず書き続けた。そうこうするうちに読者が増え、出版の話が舞い込み、今がある。
母校に対して未練はないが、S先生には会いたい。先生の言う通り、読み続け、そして書き続けられていることを伝えたい。そしてきっとこの先も、先生に言われた通り、私は読み続け、そして書き続けていくと思う。
『国語教室』第123号より転載
「文字が見せてくれる唯一無二の瞬間」
有名な作家が書いた日記もSNSに書き込まれた言葉も、今となっては戻ることのできない、唯一無二の瞬間を感じさせるものである。「言語文化」の学習の導入に最適な随想。
著者プロフィール
村井理子(むらい りこ)
1970(昭和45)年生まれ。翻訳者、エッセイスト。書籍の翻訳を行うかたわら、家族の葛藤や人生の機微を描いたエッセイを多数発表。著書に『犬がいるから』『ハリー、大きな幸せ』など。
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