日本語の展望台から
第7回 目立たないことばで環境を調べる
定延利之
- 2025.05.30

1.さまざまな「目立たないことば」
前回は,接頭辞「お」「ご」と平板型の語「勉強」「専門」が結合しても(「お勉強」「ご専門」),アクセントは平板型のままであることなどを取り上げ,これらの接頭辞は結合相手のアクセント情報を尊重するしかない,「目立たないことば」であると述べた。目立たないことばとは,意味が希薄で,音韻が短く,自立性に欠けることばである。
結合相手のアクセント情報をひたすら尊重する,周囲に従順な「目立たないことば」は,接尾辞にもある。たとえば,先に挙げた短い名前に接尾辞「子」が付いても,頭高型つまり第1モーラがアクセント核を担うという名前のアクセント情報は保持される。
アイコ アキコ エミコ キヨコ ジュンコ チエコ トシコ ハナコ マイコ マキコ マチコ マミコ メイコ モモコ ヤスコ ユキコ ユミコ ユリコ ヨシコ リエコ リカコ リョウコ
接尾辞「さん」「くん」「ちゃん」も,結合相手のアクセント情報を一切変えない。古く方言色が感じられるものだが,さらに「どん」「はん」なども加えることができる。「さん」の例を挙げておく。
安藤(高低低低)+ さん = 安藤さん(高低低低低低)
立花(低高低低)+ さん = 立花さん(低高低低低低)
中村(低高高高)+ さん = 中村さん(低高高高高高)
以上を組み合わせると,「おきよちゃん」「おけいはん」「おせいどん」「おたかさん」「おとみさん」「おはなはん」(低高低低低)など,愛称も含めてさまざまな語のアクセントが理解できる。短い名前「きよ」「けい」「せい」「たか」「とみ」「はな」のアクセント情報(頭高型,つまり第1モーラの「き」「け」「せ」「た」「と」「は」にアクセント核がある)は,直前に「お」が付いても,直後に「ちゃん」「はん」「さん」が付いても,保持されるからである。
同じことが助詞や判定詞(断定の助動詞)にも観察できる。これらも目立たないことばである。
サルか(高低低) イヌか(低高低) キジか(低高高)
サルが(高低低) イヌが(低高低) キジが(低高高)
サルさ(高低低) イヌさ(低高低) キジさ(低高高)
サルだ(高低低) イヌだ(低高低) キジだ(低高高)
サルじゃ(高低低) イヌじゃ(低高低) キジじゃ(低高高)
サルで(高低低) イヌで(低高低) キジで(低高高)
サルと(高低低) イヌと(低高低) キジと(低高高)
サルに(高低低) イヌに(低高低) キジに(低高高)
サルは(高低低) イヌは(低高低) キジは(低高高)
サルへ(高低低) イヌへ(低高低) キジへ(低高高)
サルも(高低低) イヌも(低高低) キジも(低高高)
サルや(高低低) イヌや(低高低) キジや(低高高)
サルよ(高低低) イヌよ(低高低) キジよ(低高高)
サルを(高低低) イヌを(低高低) キジを(低高高)
サルから(高低低低) イヌから(低高低低) キジから(低高高高)
サルだけ(高低低低) イヌだけ(低高低低) キジだけ(低高高高)
サルほど(高低低低) イヌほど(低高低低) キジほど(低高高高)
サルって(高低低低) イヌって(低高低低) キジって(低高高高)
あれ,おかしい。ちょっと待て。おまえは前回,平板型アクセント型を紹介する際には,これを「直後の助詞も高いアクセント型」と紹介したではないか。いま,「平板型アクセントの語に続く助詞は高い」などと,もっともらしく言っているが,これは観察ではなくて,平板型アクセントの定義をただなぞっているだけではないのか?
確かに,たとえば「キジと」において「と」が高いことは,「キジ」が平板型アクセントだという判断の根拠である。だが,助詞を連続させてみると,どうなるか。たとえば「キジとだけ」を見ると,「と」だけでなく「だけ」までが高い。「キジ」のアクセントが平板型だということで説明できるのは,直後の「と」だけである。「だけ」までが高いということは,「と」が目立たないことばだと考えなければ説明できない。
もっとも,長さが2モーラ以上の助詞・判定詞の中には,第2モーラ以降が常に低になるものもある。このことは,「キジ」のような平板型アクセントの語に付く場合にはっきりする。たとえば「キジさえ」では,「さえ」の第1モーラ「さ」は「キジ」の平板型というアクセント型を尊重して高いが,第2モーラの「え」は高ではなく低になる。類例も含めて挙げておく。
サルさえ(高低低低) イヌさえ(低高低低) キジさえ(低高高低)
サルすら(高低低低) イヌすら(低高低低) キジすら(低高高低)
サルです(高低低低) イヌです(低高低低) キジです(低高高低)
サルでも(高低低低) イヌでも(低高低低) キジでも(低高高低)
サルとか(高低低低) イヌとか(低高低低) キジとか(低高高低)
サルなど(高低低低) イヌなど(低高低低) キジなど(低高高低)
サルなら(高低低低) イヌなら(低高低低) キジなら(低高高低)
サルなり(高低低低) イヌなり(低高低低) キジなり(低高高低)
サルまで(高低低低) イヌまで(低高低低) キジまで(低高高低)
サルより(高低低低) イヌより(低高低低) キジより(低高高低)
サルをば(高低低低) イヌをば(低高低低) キジをば(低高高低)
サルざます(高低低低低) イヌざます(低高低低低) キジざます(低高高低低)
サルだとか(高低低低低) イヌだとか(低高低低低) キジだとか(低高高低低)
サルなんか(高低低低低) イヌなんか(低高低低低) キジなんか(低高高低低)
2.境界音調
平板型アクセントの語の直後に,目立たないことばが付いている。にもかかわらず,目立たないことばが高ではなく,低になる場合がある。たとえば,次のような場合である。(アクセント表記は下線部のみとする。以下も同様。)
当たるを幸い,~(低高高低)
言うに事欠いて……(低高低)
行くがよい。(低高低)
行くに越したことは無い。(低高低)
この辞典の第3巻は「乗る」から「巻く」までだ。(低高低低 低高低低)
「当たるを幸い,~」を見てみよう。動詞「当たる」は,「当たった」「当たって」の「た」や「て」が高いことからわかるように平板型アクセントである。だが,動詞「当たる」の直後に格助詞「を」が付くと,「を」は低になる。他の例も同様である。一体どういうことなのか?
実は,これらの格助詞は,動詞の直後に現れているようでいて,ある意味,そうではない。というのは,そもそも,格助詞と結合することばは名詞であって,動詞ではないからである。動詞と格助詞は一体化せず,両者の間には「境界」が残っている。格助詞は動詞の直後に現れているのではなく,この境界の直後に現れていると言うことができる。
境界に面したことばが,特別な音調になるということは,「境界音調」(boundary tone)という名で世界的に知られている。日本語では「動詞+格助詞」というつながりは文法に合わず,両者の間には境界が残っている。格助詞という目立たないことばの音調が,低になっているのは,この境界に面しているための,境界音調だということである。
係助詞「は」「も」の例も挙げておこう。これらも格助詞と同様,動詞に付いて,境界音調で低音調になっている。
言うは易く,行うは難し。(低高低 低高高高低)
聞くは一時の恥。(低高低)
聞くも涙,語るも涙の物語。(低高低 低高高低)
「乗る」も「巻く」も第3巻に収録されている。(低高低 低高低)
判定詞が名詞以外のものに付いても,同じことが生じる。
「一人で行くの?」「いや。社長とだ」(低高高高低)
ちゃんと行っただなんて,嘘ばっかり。(低高高低)
この空欄に埋まる動詞は「行く」だな。(低高低)
それも,高齢の親を置いてだ。(低高高低)
食べながらだ。(低高高高高低)
[田舎者キャラ] オラ 行くだ。(低高低)
[幼児キャラ] 行くでちゅ。(低高低低)
名詞以外であれば,何でもいい。子供が口喧嘩をして,「あっかんべーだ」「いーだ」と言う時,最後の「だ」が低いのも,同じことである。「あっかんべー」や「いー」が何型のアクセントか,などと考える必要はない。
3.境界は打ち消せる
接続詞は,思いつくものだけでも数十はある。そのうち,低い音で始まるものには,次のようなものがある。
あるいは 一方 結局 しかし したがって すなわち すると そうして そこで そして その上 そのため それから それで それでは それでも それなのに それなら それに それにしても それゆえ たとえば 他方 ちなみに ところが ところで にしても また もっとも ゆえに 要するに
特に問題はないだろう。接続詞が低い音で始まっても別段悪いわけではない。
また,高い音で始まるもの,つまり頭高型の接続詞には,次のようなものがある。
けど さらに じゃあ そもそも だが だから だけど ただ ただし だったら だって だとしても だのに だというのに つまり でしたら ですから ですけど ですが ですから ですので では でも なお なぜなら なので なのに なら ならば にも拘らず
これも,特に問題はないだろう。接続詞が高い音で始まっても悪くはない。接続詞には低始まりのものもあれば,高始まりのものもあるというわけである。
だが,その中にあって,判定詞「だ」「です」「じゃ」という,目立たないことばを初頭要素とする接続詞は,すべて高始まりである。
じゃあ(高低) だが(高低) だから(高低低) だけど(高低低) だったら(高低低低) だって(高低低) だとしても(高低低低低) だというのに(高低低低低低) でしたら(高低低低) ですが(高低低) ですから(高低低低) ですけど(高低低低) ですので(高低低低) では(高低) でも(高低)
このほか,あまり見かけない「だのに」や,判定詞「だ」の連体形と言えるかどうか疑問の余地がある「な」で始まる「なので」「なのに」「なら」「ならば」も高始まりで,低始まりのものはない。
文と文の間(あるいは節と節の間)という,大きな境界に面していながら,これらの接続詞の冒頭部にある目立たないことばは,境界音調により低を示さず,決まって高始まりである。なぜだろう?
それは,これらが接続詞だからである。話し手が「先行文脈につなげる」という意識で接続詞を発すれば,話し手の中で境界はキャンセルされ,境界音調も生じない。
境界とは,意味や統語構造の切れ目であり,発話形式に最初から与えられているものだと,我々は思いがちである。しかし,それは話し手が事後に打ち消せるものでもある。
著者プロフィール
定延利之(さだのぶ としゆき)
京都大学大学院文学研究科教授。無視・軽視されている「周辺的」な現象に目を向け,そこから言語研究の前提を検討している。主な単著に『認知言語論』(2000年,大修館書店),『煩悩の文法』(2008年,筑摩書房,増補版2016年,凡人社),『コミュニケーションへの言語的接近』(2016年,ひつじ書房),『文節の文法』(2019年,大修館書店),『コミュニケーションと言語におけるキャラ』(2020年,三省堂)がある。

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